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マンハンター コマユバチの城

8章 終わりの始まり


 

 

 

 マンションの部屋は、キレイに片付けられていた。
掃除もしっかり行き届いている。繭華がやったのだろうか。

「お腹が減ったよ。それじゃあ、たまにはボクが作るから、キミはそこに座っているといい」

「悪いな」

 繭華は勝って知ったる他人の家という感じで、テキパキと作業を進めていく。

「おかゆでいいかい」

「頼む」

 その後、2人でおかゆをすすった。

「・・・それでさ」

 俺はなんとなく食が進まず、一口食べては喋り、一口食べては喋ると言ういささか
行儀の悪いことをしていた。
俺の話に律儀にうなづいていた繭華の動きがピタリと止まった。

「どうした?」

 何か気に障ることでも言っただろうか。

「・・・ごめん、キミ少し黙って・・・なんだかどこからか変な臭いがする」
 
 繭華の目つきが変わった。あの、マンハンターと対峙している時の鋭い目だ。

「変って何が? どんな臭いだよ。三角コーナーの中身をここ3日で腐らせたか?」
 
「いいから黙って、・・・これはなにかが死んでいる臭いだ。ベランダからする」

 死? 死の臭いだって?
繭華は手早い手つきで自分のリュックを背負い、緊張した面持ちでマンションのベランダへ向かう。
繭華はそれとなく外を確認すると、まるでアクション映画のようにベランダを勢いよく開け、
出て行った。

 何だって言うんだ。
俺もそれにコソコソと近づいていく。
ベランダに出た繭華はベランダの端に身を隠すようにしてしゃがみこんでいた。

「ここからじゃない。別の部屋だ。どこか、ここからあんまり遠くない部屋に大きな動物の死体が
ある」

「そんなこと分かるのか」

「血と油が混ざって腐り始めた臭いがする。
・・・どうもボクは、本当にこの臭いが嫌いになったらしい。さっきからかすかな臭いが気になって
仕方ない」

 俺には臭いなんか分からないが。

「キミ、確認したくないんだけど、一応確認しておくよ。
このマンション、ペットは飼えるのかい?」

「基本ムリ」

「じゃあ、こっそり飼っていたのが死んで放置しているのか、それとも、死んだ人間が放置されて
いるのかな」


 繭華は俺の部屋を出て、階段を使い、階を下がっていく。俺もあわててそれについていく。
彼女が目指していたのはマンションの入り口にある郵便受けとかがあるところだった。

「なんて分かりやすいんだろう。見てごらん、郵便受けの10ヶ所以上、新聞が2日分入りっ放しだ」

「新聞に飽きたとか、旅行中、とか」

「ならいいけどね」

 繭華は寂しげに笑った。
そんなこと絶対無いよと、俺の楽観論を目で笑っていた。



 新聞を取っていない世帯もあった。最終的にやられていたのは計8部屋だった。
管理人さんに連絡し、急いで各部屋の様子を確認させてもらう。
部屋の中は見る必要すら無かった。ドアを開けた瞬間に、鈍感な俺でも分かる濃密な
腐敗臭がしてきた。

「冬場だから、少し腐敗が遅れたんだ。部屋によっては暖房が入っているけど」

 殺されていた。
人間が、そこでは殺されていた。
殺されていたのは25人。どいつも顔は見たことのあるやつらだった。
どんな人間かは俺もよくは知らない。けれど、それは普通の人たち、一般人だった。
1人暮らしばかりが集中して狙われたらしい。
どいつもこいつも体のあちこちが欠けていた。喰われたのだ。

「どんな動物も、1匹になったものは狙われやすい」

 繭華は無表情に言い放った。

「間違いない、マンハンターだ、どうやらこのマンションに現れたらしい。
あるいは、元から住人だった誰かがマンハンターなのかもしれない」

 管理人さんは携帯電話で110番している。
だが、どうしたわけかその声は途中から悲痛なものに変わった。

「どうして来てくれないんです? 現場はそのままにしてくれ? 警察官はほぼ全員出払って
いるって、どういうことですか? こういう時に市民を守るのが警察なんじゃないんですか?」

「・・・ヤバイな」 

 繭華が管理人さんの話を聞きながら何かを考えている。

「何がヤバイんだ」

「前にテレビでやっていたことを覚えていないかい? 政府が発表していたじゃないか。
政府はマンハンターたちから守るものに優先順位をすでにつけているんだ。
だから、こんな首都圏からかなり外れた関東の一地方なんて、場合によってはもう見捨てられている
可能性が高い」

「おいおいまさか」

「政府は全てを守れない」

「繭華、こう言っちゃなんだが、お前はマンハンターを恐れるあまり、ヤツらを過大評価して
いるんじゃないか?いくら殺人鬼だとは言っても、たかが殺人鬼が100人程度この国を
ウロチョロしたって警察は音を上げたりしないだろう」

「たかが100人ならね、どうとでもなるさ。でも、ヤツらの人数はそんなものじゃない」

「じゃあ、どのくらいいるんだ。1000か、2000か」 

「マンハンターは脳の機能障害から発生する深刻な行動障害の一種だ。
そしてこの機能障害は全人口の3パーセントに発生すると言われている」

 なんだって? 

「首都圏に住んでいる人間が3000万人。単純に考えて90万人からのマンハンターが
人間を殺そうと活動しているはずだ」

 そうしていると、ゾロゾロとマンションの住人たちが出てきた。
俺たちが騒いでいる声が聞こえていたのだろう。

「管理人さん、なんかあったの?」

「なんだよ静かにしろよ、こっちは仕事が残ってんだ・・・」

 そこで、誰かの部屋から、ラジオの音が聞こえてきた。

『緊急ニュースです。
政府の発表では、首都圏におけるマンハンター事件の多発を受け、
首都圏、政令指定都市、および国家機能にまつわる重要施設の保護を最優先とする命令が
各部署に伝達されました。繰り返します。マンハンター事件が1時間当たり発生数が1000件を
超えたのを受け・・・』


 25人分のマンションの死体は、終わりの始まりを告げる鐘のようなものだった。
それから先、ラジオもテレビもインターネットも何もかも、全てがこの国の非常事態を告げ始めた。
テレビでは普段見ているような娯楽番組は全てやめてしまった。
1日24時間、延々とマンハンター対策を騒ぎ立てていた。
ラジオもほとんどマンハンター対策でいっぱいだ。そうでないものはほとんど休止し、
心が落ち着くようなクラシック音楽をかけ続けていた。
 
 俺たちのマンションからは人がいなくなり始めていた。
大量殺人が起こった建物だからという理由で、住人が次々と退去していた。
退去した先にマンハンターがいないと信じているのだろうか? 俺には分からない。

 それからたった数日で、俺たち以外、このマンションに住む人間はいなくなった。
俺は何か手を打ちたいと考えたが、実際、俺にできることは何一つなかった。
そんななか、繭華が「キミは家族のところに行ったほうがいいのではないか」と言い出した。
「きっと心配している」「顔を見せるだけでも違う」と、そんなことを何度か言われた。
たしかにこんな時だ、とにかく顔を見せておくだけでも少しは違うかもしれない。
俺は久しぶりに実家に帰ることにした。


 俺たちは自転車で移動していた。
2台の自転車は昼の町を併走している。

「それにしても考えておくべきだった」 

 繭華が走りながら喋っている。

「首都圏3000万は守られている。けどその中にいたマンハンターは警察によって捕まるか、
そこから外に追い出される形になる」

「そうか」

「やつらは腹を空かせたまま交通の便のいい郊外の町に集まる。
そこで腹を満たそうと行動する」

「その町が、ここだってのか?」

「そうだよ、ここだけじゃないけどね。それにしても、キミ、あんなに車の雑誌
持ってたのに、自動車は持ってないんだ」

「持ってないけど、運転ならできると思う」

「免許あるんだ?」

「いや、ゲームの知識しかない」

 そもそも病気持ちでは、運転免許を取ることはできなかったような気もするが。
とにかく俺たちは俺の実家に向かって走っていた。


 それから10分は走らせただろうか。
俺たちはだいぶ実家に近づいてきた。
自宅から徒歩10分の駅の側、そこに見慣れた人間が2人立っていた。

「和泉だ、あいつらまだこんなところウロウロしてたのか」

 自転車で近づこうとペダルを漕ぐ足に力をこめる。
そこで、和泉と加藤くんに近づく不審な男の姿が目に入った。

「おいおい、おいおいおいおい!」

 なんだよ、まさか、そんな、ベストタイミングでこんな場面に遭遇するとか、
そんなありえない場面に出くわすんじゃないんだろうな!
頼むから、普通の不審者であってくれよ・・・!

 2人はまだ不審者に気づいていない。
男が突然動いた。そしてバリンッと、何かが青白く光った。

「スタンガンだ!」

 繭華が叫ぶ。和泉が倒れる。
加藤くんが警戒態勢を取る。
そして俺は、後先考えず、猛スピードで不審者に突っ込んでいた。いい子は真似するなよ?

「どうりゃあああああ!」

 子供の頃に培ったウィリーの技能がこんなところで役に立つとは思わなかった。
自転車はタイヤを相手に向け突進して行き、俺はぶつかる間際に自転車から飛び降りる。

 それはかなりど派手な音だった。
時速30kmで体当たりしてくる自転車はかなり強烈だったのだろう。
不審者はそこで倒れた、気絶したらしい。

 繭華が自転車で走ってくる。彼女は冷静に不審者を確認する。

「・・・容赦ないねキミも。相手の息は一応ある。持ち物を確認するよ・・・。
ああ、ジャックナイフと特殊警棒か、古典的だね」

 繭華は相手から武器を奪い取った。

「繭華さん、お兄さん、一体どうしたんですか?」 

 加藤くんが俺と繭華と不審者と、そして和泉を交互に見ながら呆然としていた。



 気絶した和泉を担ぎつつ、家まで20分歩いた。けっこう重たい。
俺の自転車は壊れてしまった。もう使えないだろう。

「マンハンターだったんですか・・・アレが」

 加藤くんが青ざめている。
少し震えてもいるようだ。怖かったのか武者震いなのか。

「ま、スタンガンで相手を気絶させるただの不審者かもしれないけどね。
ナイフや特殊警棒もマンハンター対策に持っていただけ、という可能性もあるけど」

「いえ、どちらにせよ助かりました」

 加藤くんはショックを受けている。
人が人に襲い掛かるというシーンは、しかし相当ショッキングなものだ。


 
「おーい、オヤジー。生きてるかー」

 とりあえず実家についたところで、どう切り出していいか分からず、俺はそう言った。

 ピンポンを鳴らすこと数回。
ガチャリと出てきたのはオヤジとオフクロだった。


 俺は和泉を預けるだけのつもりだったのだが、とにかく上がっていけ
と言われ、やむなく実家に上がった。加藤くんも繭華も一緒だ。
繭華は少し緊張気味だ。そういや、両親に合わせるのは初めてだ。
繭華は簡単な挨拶をすませた。

 俺と繭華はこちらで掴んでいる情報を話した。
オヤジはただウンウンとうなづいていた。

「実はな、この町内会でも消防団や町内会の有志で自警団を作って見回りをしていたんだが、
今朝、1人が死体で発見されてな。警察に連絡してもなしのつぶてなんだ」

「知らせて欲しかったぜ」

「おまえ、病院にいたらしいじゃないか、連絡がつかなかったんだよ」

「とにかくどうすんだオヤジ? このままじゃ危ないかもしれないぜ」

「この辺の町内会は、周囲と合同して丘の上の学校に避難することになってる」

 避難計画なんてあるのか。

「各家庭単位で篭城しても危ないっていう説明会があってな。
それで多人数で学校に集まることになってるんだ。人数がいれば相手も襲ってきにくいだろうし、
学校は最低限の生活空間があるからな」

 繭華が身を乗り出してきた。

「どのくらい集まるのですか?」

「1000人くらいと聞いている。不審者対策の金網とか、高い壁とかもあるしな」

 
 なりゆきで、俺たちは避難所まで移動することになった。和泉をオヤジの軽自動車に乗せ、
俺と繭華は徒歩で行く。乗りきれないのだ。
近所のおばちゃんたちは俺を覚えていたらしく、親しげに声をかけてきた。
しかし加藤くんはともかく繭華に対しては少し警戒感を持たれた。
知らない子なのだからしかたがない。俺は自分の彼女だと説明して、なんとかその場を
やり過ごした。

 学校には続々とみんなが集まっていた。
いつのまにか組織的なものが出来上がっているらしく、法被を着た消防団や自治会のおじさんたち
が中心となってみんなを指揮していた。
グラウンドにはたくさんの自家用車が並んでいる。入りきらないものもあり、それらは途中の
道の脇に止められていた。

「なんだかおおごとだねぇ」

 繭華はのんきに構えている。

「そうだろうさ、にしても、急にみょうなことになっちまったな」

「急ってわけでもないさ。
マンハンター事件はここ最近急激に増え続けていた。いつかはこうなるものだったのさ。
それがたまたま今、こうして起こったというだけの話さ」

 どこかでラジオがかかっていた。
カーラジオだろうか。

『はい、イセカオルのラジバイン。今日は時間を変えてお送りしています。
政府発表とかってやつで時間帯がガラリとずれちゃって、まったく予定ずれまくりです。
さて、それでも今日も明るくいきましょラジバイン!』 

 なんだろう。ラジバインはいつもとまったく変わらない。
いつものお気楽極楽なあのノリだ。なんだかホッとする。

「イセカオルは変わらないんだね」

 繭華が感心したように言う。

「ああ、これはこれで助かるな、さっきから気が滅入って困っていた」



 そして、俺たちの日常は終わった。
全てはあまりに急だった。まるで今までの日々は夢の中で見た幻のように簡単に消えてしまった。
生活の全てが、マンハンター対策一色になってしまった。

 近所のおばちゃんたちが理科室やグラウンドで炊き出しを行い、みんなでご飯を食べる。


 それにしても、なんだか実感がない。
俺たちは何をしているんだ? これはなんだ? 俺たちはなにから避難している?
消防団の人たちが、ときおり町に出かけ、様子を見てきている。
町には人が1人もいなくなってしまったらしい。
 ごくわずかに人の衣服の切れ端・・・血のついたものなどが落ちているだけだそうだ。

 行方が分からなくなっている人も大勢いるようだが、それがたんに連絡不能になっているのか
それともマンハンターに殺されたのかは判断がつかなかった。

 4kmほど離れたところに別の学校があるらしい。そこにも避難している人々がいて、
ここと連絡を取り合っていた。そこには1400人ぐらいの人間がいるらしい。

 避難を続けろとテレビとラジオは騒ぎ立てていた。
政府の発表でも、知らない人を絶対に信用するな、一人になるな、家族だけで孤立するなと
騒いでいた。
しかし、危機の実感がわきにくい。他の人たちもそうなのだろう。中には避難生活を早々に
切り上げて自宅に帰る人も出始めた。

 首都圏に逃げ出すのが一番よいかと思われたが、首都圏の入り口は完全に封鎖されているらしい。
入り込もうとすると、警察に追い払われるそうだ。
入り込もうとしているものが、避難民なのか、マンハンターなのか区別がつかないのだろう。
1人たりとも新しい人間は入れない体制のようだ。
みんなはそんな政府に怒りを爆発させていたが、そもそもこういう計画だったのだから政府に
期待すること自体がおかしいのかもしれない。

 

 俺は繭華と一緒に、オヤジの車で寝泊りしていた。
俺は顔見知りが多く、身分は保証されているのだが、繭華は知っている人が俺たち以外にはなく、
疑惑の目で見られている。マンハンターではないかと思われているのだ。
それで、みんなと相部屋になる教室には居場所がないのだ。

 俺が一緒にいるから周りから酷い扱いを受けることはないが、それでも俺がいなかったら
どうなっていたか分からない。少なくともここにはいられなかったかもしれない。
別に繭華にとって、それはたいしたことではないのかもしれないが。

 俺は今日が何日か、分からなくなりつつあった。
体の痛みは激しさを増していた。ほとんど毎日、日課のように痛み止めを飲む。
薬は当分持ちそうだが、いつまでもこんな生活が続くと危ない。薬がなくなってしまう。

 病院はもぬけの殻になっているらしい。
いざとなったら痛み止めを盗みに入ろうかとも考えてしまった。

 それにしても、死に損ないの俺なんかがなんでこうして生きているのだろう。
元気で運の悪いやつが死んで、半分死人の俺が、運がいいというだけで生きていていいのだろうか。

 どこからかラジオが聞こえてきた。
12月24日のお昼、今日はクリスマスイブらしい。
そういえば校舎のどこからか肉を焼く臭いがしてきている。ご馳走でも作るつもりなのだろう。

「ウッ・・・ヒドイ臭い」

 繭華が車の後部座席でもぞもぞと動いた。

「肉を焼く臭いだ。キモチワルイ。吐き気がするよ」

「困ったな。我慢できそうにないか? どうも今日はクリスマスイブらしくて、それでみんな
ご馳走でも作るつもりらしい」

「本当にキモチワルイ・・・。ちょっこっち来て背中でもさすって」

 繭華の顔は真っ青だ。かなり気分が悪そうである。

「はいはい」

 俺は車の後部座席へ移動し、繭華を抱きかかえ背中を撫でた。

「我慢できそうか? 繭華」

「ムリっぽい」

「じゃあ、少し離れたところにいよう。とりあえず居場所を移すことをオヤジに言ってくる」


 俺は繭華の具合が悪そうなので、居場所を変えることを家族に告げた。
和泉とオフクロは申し訳なさそうにしていた。繭華が教室に入れないことや、肉が苦手なことを
気遣っているのだろう。

 とにかく繭華を肉の臭いがしないところに連れて行かなくちゃいけない。
俺は学校の裏手にある山道の散歩コースへ向かった。
あそこなら大丈夫だろう。いざとなれば逃げるところもたくさん知っている。

 少し山道を歩くだけで、すぐに森の中だ。
木は全ての葉を落としており、辺りは冬景色そのものだ。

「キミ、これからどうなるんだろうね?」


「さあな」

「ボクはここから出て行こうか? ボクはどこでも生きていけるよ。
ボクに構って、キミが迷惑を被ることはない」

「そんなこと言うなよ」

 俺は繭華の肩をギュッと掴んだ。
なんだかこいつは、掴んでいないとすぐにでもどこかに行ってしまいそうな気がした。

「痛い痛い」

 繭華の抗議を受けて、俺はそっと手を放した。

「繭華、とにかく俺たちはこうしていることしかできないさ。
政府だか警察だか自衛隊だかが、きっと事態を解決してくれるさ」

「できるかもね、時間はかかりそうだけど。
その間、生き残ることができるかどうかが問題だ」


 夕飯も終わり、みんなが飯を腹に収めてくれる頃合を見計らって学校に戻った。

 そこではなにやら騒ぎが起こっていた。

「国道のほうに、どう見てもヤバイ連中が大量にいる」
「手に手に斧やナイフ、包丁、ノコギリを持って、血塗れで歩いている」
「すごい人数だ、10000人はいる」

 という内容だった。
繭華がすかさず動いた。

「どこに? どこの国道なんです? どこから見えますか?!」

 近くで騒いでいる見知らぬおじさんに詰め寄り、話を聞きだす。
聞き出すのと同時に、繭華は学校の上を目指して走り出していた。

「おいおい! どこに行くんだ!」

「屋上だよ! そこから見えるらしい!」

 この学校は高台に建っているため、見晴らしはいい。
俺たちは階段を駆け上がり、屋上に出た。

「給水等の上に、望遠鏡が置いてある!」
 
 繭華が叫んだ。
誰かが見張りに使っていたのだろう。給水塔の上には望遠鏡が置いてあった。
俺はハシゴを登って給水塔の上に出て、望遠鏡を覗き込む。
ここから見える国道の位置を思い出し、そちらを確認する。

 最初は、見えたものがなんだか分からなかった。
隣町に繋がる国道が、何か細々としたものでビッシリと覆われていた。
しばらく見て、初めてそれが人の群れであることに気がついた。
群れはゆっくりとだが、こちらに向かって歩いてきている。

 さらに観察を続けると、それらは手に手に光る物を持っているのが見えた。
刃物だろう。斧やナイフ、ときおり日本刀らしきものまでもっているヤツがいる。

 さらに見ると、たまに何かを担ぎつつ、食べているものが見えた。
何か赤かったりピンク色だったりするものを、齧ったり舐めたりしている。
数分見て、ようやく確認できた。その齧られているものは、ごく稀に人の衣服を
つけている。分かりにくいが、たぶん人なのだろう。いや、元は人と言うべきか。

 俺に続けて繭華が望遠鏡をのぞき見た。
繭華はすぐに事態を把握したらしい。
ただ無表情にその人間の群れを見ていた。


 大人の男を中心として、作戦会議のようなものが開かれていた。
俺も少し参加したが、こんな話し合いではどうにもならないことはすぐに分かった。
結局、運を天に任せてやつらに狙われないことを祈るか、戦って撃退するか、ここから逃げるかの
どれかだった。どこからか助けが来るという可能性は、ほぼ無かった。

 とにかく、この情報をいろんなところに伝えようということになった。
何人か元気な人がチームになって学校を飛び出した。

 自宅に帰っている人たちを呼び戻す人、となりの学校に連絡する人、公共機関に向かう人、
俺と繭華はそれを見送った。

 数分から数時間の後に、みんなは帰ってきた。
見る影も無く意気消沈していた。

 となりの学校に行った人など、半ば気が狂って帰ってきた。
みんなで何とか取り押さえ、落ち着いたところで話しを聞く。

 となりの学校は、もう誰もいなかったらしい。
校舎内にあったものは、人が生活していた痕跡と、血の跡と、
調理場で作られていた身の毛もよだつ料理だけだったという。
逃げられる者は逃げたのだろう。全員が殺されたわけでもないようだが。

 家族単位で自宅に帰っている人たちも、大勢がマンハンターにやられてしまったという。
ほとんどがいなくなっていた。わずかな血の痕跡を家の中に残したまま。
校舎内に絶望的な空気が忍び込んできていた。
その話を聞いて、何人かの女性が気を失った。中には俺のオフクロも含まれていた。


 話し合いの場で、発言するものはいなくなっていた。
ただ、みんなで円になって集まっているだけだった。
気が早い人の中には、車で逃げ出す人もいたが、多くはなかった。
ガソリンがないため、逃げようにも逃げきれない。
時間だけが過ぎていき、いつしか早い夜になっていた。

 その時、外で悲鳴が聞こえた。
「根岸のところの兄貴じゃなねぇか?!」
誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。

 俺と繭華は外に駆け出した。玄関からグラウンドへと出る。
そしてそこで見たものは、現実とは思えない光景だった。

 汚らしい人間の一団が、学校のフェンス、金網に張り付いていた。
上がろうとしているのだ。手に手に赤黒く染まった刃物を持った人間が、
校舎に侵入しようとしていた。
ほとんどゾンビ映画そのものだ。ガチャガチャと、ひどい騒音を立てて金網が揺れ、きしむ。
 
 それを見て、大人たちはパニックに陥ってしまった。
学校にいた大人の男たちは、次々と、我先に逃げ出した。
口々に自分の家族に逃げるように叫びながら、校舎に向かって走っている。
自分の家族だけでも助けようとしているのだろう。

「繭華! 逃げるぞ!」 

 俺も、人のことは言えない。逃げることばかり考えてしまった。
数歩動いた後、繭華がついてきていないことに気がついた。

 あわてて振り返る。
繭華はフェンスの近くを見ていた。
フェンスの内側、こちら側に14才ほどの少年が倒れていた。
あれが「根岸のところの兄貴」だろうか。

 少年は恐怖のあまり腰を抜かしているようだった。
それを見た繭華は、その少年に向かって、フェンスに向かって走り出した。

 繭華がフェンスの側に立つと、金網を登りつめたマンハンターが3人、飛び降りてきた。
ヤツらは真っ先に少年に襲い掛かった。1人は手に日本刀を、2人は手に包丁を持っている。

 繭華はただシンプルに、リュックサックから散弾銃を抜き、
その3人に向かって発砲した。

 何度か聞いた、爆竹の失敗作のような音が響いた。
ヤツら3人は、ヨダレを垂らした表情のまま、何が起こったのかも分からない様子で倒れていった。

「ああぁぁぁーーー!」

 繭華が裂帛の気合を放ち、散弾銃を撃つ。
フェンスに取り付いているマンハンターに2発撃つ。そして弾を込め、また撃つ、を繰り返す。
マンハンターたちは次々と倒れていく。金網から落ちていく、そしてあまりにも簡単に、
壊れたおもちゃみたいに動きを止める。

 生き残ったマンハンターたちが怯んだ。
ヤツらはフェンスから離れていく。
繭華は散弾銃に別の弾を込めた。
少し離れたマンハンターに命中する。
貫通した弾が、後ろのマンハンターも倒す。
一発で3人ずつぐらい倒れる。ヤツらは密集しているものだから、避けようが無い。

 不利を悟ったのか、マンハンターが退いていく。
繭華は、フゥッと息を吐いた。
腰を抜かしている少年に近づく。

 少年を助け起こそうと手を差し伸べた繭華。
それと同時に、別のところから何かが落ちてくる音がした。
こことは少し離れたところのフェンスから、よじ登ってきたヤツがいたらしい。
左手に人の生首を持ち、右手に鉄パイプのようなものを持った男が、繭華に向かって
突進してきた。

 繭華はとっさのことで動きができない。
俺はそれを見て、自然に体を動かしていた。

 落ちていた日本刀を拾い、マンハンターに向けて構える。
足を踏ん張り、どうしようかと考えていたら、マンハンターが、勝手に刀に刺さってしまった。
ドズッ。ひどい鈍い、何かを刺す感覚がした。
衝撃は大きかったが、刺すのは簡単だった。

 血走った目のマンハンターは1歩2歩と前進し、そのたびに腹に刺さった刀を押し込んでいき・・・。
俺の手前、息がかかるところあたりで止まった。そのまま倒れた。俺はその衝撃で刀から手を
放してしまった。

 俺は、マンハンターの腹から刀を抜いた。
ヤツの腹が裂け、中身が少し飛び出してきた。その腹の中にはたくさんの肉片の中に人の足の指が
見えた。


 なんだか、ひどく静かになった。
校舎からは歓声でも沸き起こるかと思ったが、そうでもなかった。
ただ、みんながこっちの様子を固唾を呑んで見守っていた。

「・・・行こう」

 繭華が呟いた。

「みんな怖がってる。人と人の殺し合いなんか、見たこと無いんだ。
どうしていいか分からないんだよ」

 繭華が俺の手から日本刀をもぎ取った。
指が固まっていて、なかなか放せなかった。



 俺と繭華は、そのまま、元いたマンションへ行った。他に行き場はなかった。
マンションはそのままだった。ただし人の気配はまったくない。
電気が来ていないらしく、中は暗かった。懐中電灯があったのを思い出し、取り出す。
つけようかと思ったが、やめた。
電気が点けば、ここに人間がいるという目印になるだけで、マンハンターを呼び寄せる
だけのことになるかもしれない。

「ごめん」

 繭華が俺の背中にしがみついてきた。

「キミに、キミにマンハンターとはいえ、人殺しをさせてしまった」

「ああ」

 そういえば、そうだった。
俺はそこでようやく、俺が殺したあの男のことを思い出した。
腹から出てきた人の足の指を思いだし、ようやくその意味を理解した。

 しばらく気持ち悪くなった。
正直言うと、倒れてしまった。
吐くものがなかったので吐きはしなかったが、それでも胃の辺りがムカツキが酷い。
俺は服を着たまま、軽くベッドに横たわる。

「ゴメン、ゴメン、ゴメン。どう謝ったらいいのか分からない」

「そんなに謝らなくていいだろ」

 繭華は俺にしがみ付き、静かに泣いていた。
涙が頬を静かに流れていく。

「こんなこと、しなきゃよかった。キミに人殺しをさせてしまった。
ボクがおじさんの家を飛びだして、弟を捜そうとしたのが間違いだったんだ」

「それは違う」

 俺は繭華を抱きしめた。

「マンハンターにも、お前の弟にも、感謝してる。
こうしてお前と会えたんだ。ただそれだけで、他の事なんてどうでもいい」

「ゴメン、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

 繭華は、俺に抱きしめられ、ただ静かに泣いていた。



 しばらくして、繭華は泣き止んだ。
俺は繭華と一緒に毛布をかぶり、しばらくじっとしていた。
どれだけじっとしていただろう。
そうしていると、ふと繭華が立ち上がり、マンションのベランダから外を見た。

「少し、考えていたことがあるんだけど」

「なんだ?」

「マンハンターを大量に殺す方法が、もしかしたらあるかもしれない」

 繭華が言うにはこうだ。
マンハンターたちは、飢えている。
彼らは殺人行為ができる絶好のチャンスにめぐり合い、深く考えもせず人狩りを始めた。
だが、そこでヤツらは餌不足に陥った。

 マンハンターの人数に対して、餌となる一般人の数が少な過ぎるのだ。
それゆえ、ヤツらは当初は少しだけ食べては捨てていた人間の死体を、
ほとんど余すところなく食べ尽くすようになっている。
また、死体が足りないのか、持ち歩くものも多いようだ。
そう言えば、死体を持ち歩いているマンハンターが随分多かったような気がする。
飢えに困り果てたマンハンターの中には、正気(マンハンターとしての)を忘れ、
さっき俺が殺したような自分の死すら関知しない異常に異常を重ねた個体も出てきている。

 こういう状態なら、餌を使うことで、マンハンターをおびき寄せ、一網打尽にすることができる。
それが繭華の作戦だった。

「ボクとキミが出会った鉄骨のビルがあるだろう。地上35階建ての作りかけ、あれに
爆弾を大量に仕掛けてある。そこにヤツらをおびき寄せて、爆弾を爆破するんだ。
遠隔での爆破装置はある。500mぐらいの距離で、これを使えばいい」

 繭華はリュックから何かのスイッチを持ち出した。

「これを使えば、できないことじゃない」

 でも、餌はどう集める?
餌って人間の死体だぞ。それを切り刻みながら、ばら撒きながら逃げて、
ビルの中にあいつらをおびき寄せるのか? そんな芸当、本当にできるのか?

 



 俺はここでずっと、繭華を抱きしめていようかとも考えた。
もう、何もかも面倒くさい。繭華はこの町から1人で逃げられるだろうし、
死んでしまう俺は、そこまで生きることに貪欲じゃない。

 ここで町の終わりを、ただ眺めていようかと思った。
俺の腕の中で、繭華は静かに眠っていた。なんだかとても温かい。
俺も次第にウトウトし始めた。

 寝入りばなのことだったと思う。
突然、俺の腕の中で繭華がうめき声を上げ始めた。

「ああ・・・ああ、ああ! やだ、だめだよ、トオル、父さん! 母さん! やだ、やだやだやだ!
だれか、だれか、助けて! やだやだやだ・・・!」

 繭華は苦悶の表情で何かに苦しんでいる様子だ。
悪夢でも見ているのだろうか。額や首筋に、ひどい脂汗が浮かんでいる。

「繭華、繭華、繭華!」

 俺は繭華の肩を揺さぶる、数秒もそうしていただろうか、繭華の目が急に見開かれた。

「あ・・・」

 繭華は今、自分がいる場所を認識したようだ。

「夢か、夢・・・夢だ」

「ああ、夢だよ」 

 繭華は俺の腕をギュッと掴んだ。

「ふ、ぐすっ、うん、ぐす」

 泣いているようだ。よほど怖かったのだろう。

 そこで、部屋のドアが誰かにノックされた。
コンコンコンッ。優しげなノックが3回。

「おにい? いる? 和泉だよ、いるの? 開けて」



 玄関にある覗き窓で和泉と加藤くんを確認した。
俺はあわててドアを開け、2人を部屋の中に引き入れる。

「何やってんだ! 危ないだろう。外にはマンハンターがいる。
どうしてこんなところ来たんだ!」

 俺は和泉と加藤くんにそう言った。
少し強めに言ったつもりだ。

「おにいが心配で、それで繭華さんが銃でマンハンターをいっぱいやっつけてくれたから
助かったって聞いて。でも2人がそこからいなくなっちゃったって」

「繭華の心配はともかく、俺の心配なんて・・・」

 俺はそこでハッと気づいた。
俺は、もう、長くないだろう。
だから、自分の死を軽く考えていた。

 けれど、それは和泉にとっては違うのだ。家族にとっては違うのだ。
そういえば、町が全滅したらどうなるのだ。和泉も、オヤジも、オフクロも、加藤くんも、
マンハンターに殺されるのか。
まだ生まれてもいない、俺の甥っ子だか姪っ子も殺されるのか。

 それは、受け入れられない。
俺は、さっきの繭華の作戦を思いだした。

「なあ繭華、さっきの作戦、できそうか?」  
 
「できるよ」
 
 繭華は無表情に言った。

「出来ないことなんてない」

 俺たちのやりとりがよく分からないのだろう、和泉がこちらを見て、ポカンとしている。

「加藤くん」

 俺は和泉の未来のだんなを呼ぶ。

「はい」

「悪いんだけど、しばらく妹のこと、よろしく頼む。こんな時でなんだけど、
和泉はいろいろとよくできた女だ。大事にしてくれよ。男として、守ってやってくれ」

「・・・はい」

 加藤くんには何かが伝わったのか、神妙な面持ちだ。

「ついでにオヤジとオフクロのこともちょっと気にかけてやってくれ。
オヤジの頑固には気をつけてくれ、でも実際にはオフクロの方が頑固だから」

「はい、任せてください」

 加藤くんが握手を求めてきた。
力強い、健康的な握力を感じた。俺なんかとは全然違う。

「和泉も、体を大事にするんだぞ」

「ちょ、ちょっとおにい? 何言ってるの? ちょっと」

「甥っ子だか姪っ子だかに伝えてくれ、おじさんはお前を生まれる前から愛していたってな」

 和泉にも何かが伝わったのか、その目に涙が浮かんだ。

「おにい? 何言ってるのおにい?! わけわかんないよ!」

「和泉さん」

 繭華が身を乗り出した。

「ちょっと大事な仕事をしてくる。お兄さんは借りていくね。
大丈夫、心配いらないから。絶対帰ってくるから。大げさなんだよこの人」

 この人、のところで繭華は俺を指差す。
礼儀がなってない気がする。



 繭華の計画を、細部も含めて再度確認する。
①人間の死体を、取ってくる。ニセ警官の地下室から失敬してくる。
②それを車に乗せ、ばら撒きつつビルへ移動。
③あらかじめビルの中にも撒いておき、上の階までマンハンターを誘導する。
④充分集まったところで、頃合を見計らって爆弾のスイッチを押す。

 どのくらいのマンハンターが殺せるのかは分からない。
だが、やれることは全部やっておきたい。1人でも多くの人間が生き残るためには
マンハンターを排除する以外、方法は無い。

 
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