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ペティグリード ジュブナイルズ

3章 定時連絡!

 




 
  

  潜入捜査7日目。
 今日もいつもと変わらぬ小学校生活を送る。
 並木少年はいつものように元気いっぱいで、佐東少年はいつものように落ち着いていて、
 野々村少年はいつものように女子に弄り回されている。
  最近、ふと、野々村少年は女子に弄り回されるのを喜んでいるのではないかと感じることがある。
 女装に関しても少し危険だ。慣れ始めているように思われる。
 先日は女の子の格好のまま近所のコンビニに行っていた。
 彼の将来に暗い影が覆いかぶさってきているように思えてならない。
 小学生で女装癖を持ってしまうなんて、重すぎる十字架を背負ってしまってはならないと思う。
 
  それにしても、少年3人たちにキャバリアとしてのなんらかの兆候や異常は見つからない。
 すごい腕力もないし、運動能力も人並みだ。
 身体の異常、例えば病気のようなものもないし、定期的にメンテナンスや治療、もしくは投薬を
 受けているところも見当たらない。
 
  そもそもこの3人は本当に改造人間なのか?
 何かの間違いなのではないかと、最近は考え始めている。
 そうなると、この3人はただ普通の小学生でしかない。
 それなら、なんのことはない、何の問題もないではないか。
 このまま順繰りに学年を上げていき、2年も経てば小学校を卒業し、中学に入り、高校進学、
 あるいは就職、はたまた別の道か。
 とにかくそれぞれの平和な日常を続けていくだけなのだろう。それは良いことだ。
 
  私の鳶丸もあと3週間ほどで任務が終わる、そうなれば3人ともお別れだ。
 少し寂しい気もするな。けっこう仲良くなったし、友達でいたいとも思う。
 しかし、本来の私はいい大人だ。式部くんではないが、いい年こいた大人が子供に混じって
 お人形ごっこというのも、まともではない。
 
  3人はこれからも周囲の大人たちの保護を受け、社会の目に見守られ、成長していくのだ。
 それで何の問題も無い。
 
 
  ところが、である。
 問題は私の側に発生していた。
 恥ずかしながら、正直に言おう。
 小学校の勉強につまずいてしまったのである。
 ああ、恥ずかしすぎる。小学校の勉強でつまづくとは予想だにしていなかった。
 ことは今日の一時間目、算数の時に起こった。
 私は分数の計算のしかたを、すっかり忘れていたのである。
 いや、これは私が悪いのではない。いつも数式はパソコンに入れて処理していたので、
 すっかり思い出せなくなっていたのだ。
 
  ああなんてことだ。クラスのみんなにクスクスと笑われた。
 そのあとの休み時間、佐東少年がそっと私のところへ来て計算のしかたを教えてくれた。
 ああ、キミはいいやつだ、天使のようだよ、ほんとそう思う。
 おかげでだいぶ思い出した。ええい、悪いのは全て便利な文明の利器だ。
 
  他にも問題があった。
 漢字が思い出せなかったのである。
 手で字を書いていないと忘れるというのは本当のことのようだ。
 いちいちうろ覚えの頭で一生懸命思い出す。
 もちろん、鳶丸の操縦席にはコンピューターもついているし、漢字ぐらい検索すれば
 すぐにでてくる。しかし、その操作の一瞬、鳶丸が不自然な動きをしてしまってはならないのだ。
 脳波コントロールである鳶丸の操作は、一瞬たりとも気が抜けないのだ。
 それにしたって、ここまでいろんなことを忘れているとは、自分が情けなくて涙が出てくる。
 
  給食の時間に、ふと並木少年の顔を見る。
 なにやら勝ち誇った顔でこっちを見ている気がする。
 さっきの国語の時間で、私は並木少年より漢字が書けなかったのだ。
 ふん、あんな漢字、社会に出たら使わないからいいんだ! と心の中で言っておく。
 ヤツめ、おバカキャラかと思ったら、得意教科だけはやたらと成績がいいようだ。
 子供の頃、そういうクラスメイトがいたことを思い出したりした。
 
 
  そうこうしているうちに、今日も全ての授業が終わり、下校時間が近づいてきた。
 最後の授業の後、そのまま宮下先生がホームルームで締めくくろうとしたが、そこで
 となりのクラスの勢多先生が現れた。
 
 「すみません、宮下先生、職員室の方に来るように指示がありました。
 生徒はそのまま待機させたまま、教職員は全員集まるように、とのことです」
 
 「あら? 何かしら。みんなー、それじゃあちょっと教室で待っていてね。
 先生たちは職員室に行ってるからね」
 
  生徒からブーイングがもれる。
 早く学校を終わらせて、帰りたい一心なのだろう。
 それから10分ほど経過したか、思ったよりこのクラスは静かにしている。
 他の教室は子供たちが騒がしくしているところもあるようだ。
 階下で騒ぎ声が広がり、それを教師が一喝している声が聞こえてくる。
 校内放送が入り、生徒は全員、自分の教室で待機するように告げられる。
 
  それからさらに5分ほど過ぎた頃だろうか、ようやく先生たちが戻ってきた。
 
 「ええっと、みんなに報告することがあります。
 さきほど警察の方から学校に連絡があり、この近辺で変質者があらわれたとのことです。
 まだ、よくわかっていないことも多いし、それほどおおげさに反応することは無いと
 警察の方からも言われましたが、みなさん十分に注意して下校してください。
 帰りの方角が同じ人たちは、なるべく一緒に、多人数で下校してね。
 それと、下級生はもう下校しました。小さい子たちは授業が終わるの早いから、みんなに
 弟や妹がいたら、もう家に帰っていると思います。
 みんな、家に帰っても注意してね。1人で遊んでいる小さい子が居たら、声をかけてあげてね」
 
  変質者か、と、教室が少しばかりどよめく、しかしこういう手合いにも慣れたもののようで、
 各人、手持ちの防犯ブザーを確かめたり、帰る方向が同じ友達を確かめ合ったり、
 あるいはまったく無関心という肝が据わったのもけっこういる。
 
  キャバリア少年3人組はと思い、見てみると。
 並木少年はふてぶてしい顔でいかにもへっちゃらと言った様子である。
 少しは変質者を怖がるように、後で言い含めておこう。
 佐東少年はまったく落ち着いた様子だ。何の変化も見当たらない。
 野々村少年はと言えば、なにやら少々怯えている様子である。
 ふむ、まあこのクラスで一番襲われやすそうな外見をしているかもしれない。
 
  私は、襲われるとちょっとまずい。
 文楽55号はリミッターを解除することで常人の3倍の力を発揮することが出来る。
 だが、そんなことをしてはこちらの正体が周囲にばれてしまう。
 これはいざという時、緊急事態を脱するためのものに過ぎない。
 もしも文楽55号が拉致でもされたら一大事だ。文楽55号は一台につき7980万円も
 かかっているのだ。
 一応、私に弁償の責任はないらしいが、いろんな形で責任は取らされるだろう。
 うむ、変質者には十分注意しないとな。
 
  ちょっとした緊張感の中、ホームルームが終わる。
 その後、学校中の生徒全員が帰宅する。今日に限っては居残りもブラスバンド部の練習も無しだ。
 
  ぞろぞろと、子供たちが道いっぱいに歩いていく。
 5年生、6年生の姿もちらほら見える。
 どうしてかはわからないが、私はなんとなく子羊の群れがぞろぞろ歩いているのを思い浮かべて
 しまった。
 
  少しずつ少しずつ、子供の群れがばらばらになっていく。
 それにつれ最初はあった緊張感もしだいに薄れていき、今はもういつもと変わらない下校の様子に
 なっている。
 
 「まったく、大人は騒ぎすぎなんだって! 変質者、変質者って、しょっちゅうやってるけど、
 今まで何の問題もでたことねぇじゃん!」
 
  並木少年が腕を頭の後ろで組んで、ぶーたれている。
 
 「それは違うと思うよ、ダイスくん。
 大人がいろいろと手をうってくれているから、被害者が出てないんじゃないかな。
 昔は怖い事件がいっぱいあったって聞くし、気をつけるに越したことは無いよ」
 
 「へっ、セアンはいい子ぶってるんだよ。ま、オレなら変質者なんて現れたら
 一発、ぶん殴ってやるさ」
 
  シュシュッと、シャドーボクシングの構えを見せる並木少年。
 
 「そ、それは怖いよダイスくん。相手は大人なんだよ。腕力だって、きっと僕らより強いよ」
 
  びくびくと、子犬のように怯えている野々村少年。うんうん、キミは怯えていた方がいい。
 美少女のなりをした美少年か。
 私の頭の中では、それはそれはおそろしい性犯罪の記録が羅列されていく。
 いやぁ、考えただけで怖いなぁ。アスカくんで変な想像をするのは止めておいた方がいい。
 
 「セアンだって結構、腕力あるんだからさ? 相手を一発ぶん殴ってやれば・・・おい、どうした
 セアン?」
 
  並木少年がクルリと振り返り、佐東少年を呼ぶ。
 見ると佐東少年は、道の真ん中でじっと立ち止まり、どこか中空をにらみつけるようなポーズで
 固まっている。
 
 「ダイスくん、アスカくん、何か聞こえなかった?」
 
 「なんにも」
 
 「ボクは何も聞こえなかったけど・・・、鳶丸くん、何か聞こえた?」
 
  どうしたのだろうか、とりあえず鳶丸の聴覚センサーに記録されている音データをさらっと
 確認するが、これといって変わった音は記録されていない。
 
 「セアン、気になるなら行って確かめてみようぜ!」
 
 「うん、でも何もなかったら道草を食うだけだよ」
 
 「何もなかったら、そりゃそれでいいじゃねぇか。問題は何かあったらどうするか、だろう?
 ほら行こうぜ、そう遠くはないんだろう?」
 
 「・・・うんわかった。方角はあっちのほう、電車の高架下がある方向、向こうから一瞬だけど
 防犯ブザーの音みたいなのが聞こえてきたんだ」
 
 「よし! みんな行こうぜ! っと。ああ、鳶丸はどうしようか」
 
  佐東少年は私の方をチラリと見て、こう言葉をかける。
 
 「鳶丸くんはここで待ってて。すぐに戻るから」
 
  セアンはそう言い終るや否や、駆け出し始めた。
 それに並木、野々村両少年がついていく。
 はて、ここはどうするべきか。
 私は一計を案じ、懐から秘密兵器を取り出す。
 スズメ型偵察ロボット、その名も「タンカッター」。舌切りスズメとかけている。
 
  私はロボットを放つところを誰にも見られぬよう細心の注意を払う、
 ロボットが起動すると、別のモニター上にタンカッターの視野が別途表示される。
 さて、私はこのロボットで3人の後を追うとしよう。
 
  ロボットはすぐに3人を見つけた。
 少年たちはかなりのスピードで走っている。
 これで時速50kmぐらいで走ってくれたら、確実に3人がキャバリアだとわかるのだが、
 そこは残念なことに小学生としては少々早い程度の走りでしかない。
 
  彼らの先を見渡すと、確かに電車の高架が見える。
 そしてその下辺りでは、誰かが誰かともみ合いになっている様子が見える。
 どうもコートを着た大人が、女の子から何かを奪おうとしているようだ。
 女の子は長めのツインテールだ。もしや4年1組の加賀瀬ではないか?
 コートの男はどんなやつか、ここからはよく見えない。
 シルクハットを深々とかぶり、サングラスをしているその有様はまさに変質者といった感じである。
 
  ある程度2人の手元をズームして確認する。
 あれは、防犯用のブザーを奪おうとしているのか。
 
 「こんなモノ、鳴らソウとするんジャない。
 いい加減にシろ、このクソガき」
 
  変質者が奇妙な声でぼそぼそ喋っている。
 ボイスチェンジャーを通したような声だ。
 
 「なによ! あんたこそ離しなさいよ!」
 
  危ないな。加賀瀬さんはムキになって防犯ブザーを奪われまいとしている。
 うーん、こういう場合はどうしたらいいのか。
 とりあえず、本来は逃げたほうが良いように思える。
 
 「調子にノるな」
 
  コートの男が、加賀瀬の腕を捕まえ、片手で軽く持ち上げた。
 なに?! どういう腕力だ? 仮に加賀瀬さんの体重が30kgだったとしても、
 そんなものを片手で軽く持ち上げられるヤツはそうはいない。
 そしてコートの男は、軽々と加賀瀬さんの体をコンクリートの壁に投げつけた!
 ちっ! なんてことを!
 
  どすん、と、かなり鈍い音が響く。
 どうする? 警察に連絡をつける必要があるな、あとは救急車だ。打ち所が悪ければ、
 あれは相当まずい。
 
  コンクリートの壁に投げつけられた加賀瀬さんの容態を確認しようとそちらに視線を向ける。
 するとそこには、加賀瀬さんをしっかりと受け止めた佐東少年がいた。
 
 「加賀瀬さん、大丈夫?」
 
  加賀瀬さんは状況をよく飲み込めていないようだ。
 とりあえず、怪我の1つもないらしい。彼女はその場にゆっくりと下ろされる。
 
 「あ、ありがと」
 
  そう言うのがやっとのようだ。
 そこで強烈なブザー音が鳴り響いた。
 並木少年と野々村少年が、同時に防犯ブザーを作動させたらしい。
 だー! やかましい! こっちの聴覚センサーが壊れたらどうする!
 
 「チッ」
 
  コートの男がその場から走り去る。
 すごい速度だ。スピードガンの機能を使い、その速度を確認する。
 トップスピードは時速65kmと出た。
 これはまともな人間の出せる数字ではない。
 男は途中で止めてあった車に乗り込んだ。
 そこで強烈な電波障害が入る。
 これではタンカッターをこれ以上操作できない。
 私はあわててロボットを鳶丸の方に戻す。
 
  しばらくすると、少年3人組が帰ってくる。
 鳶丸の姿を見ると、すぐに佐東少年が声をかけてきた。
 
 「お待たせ、鳶丸くん」
 
 「いや、それほど待っていないよ」
 
  本当に待っていない。一部始終見ていました、ごめんなさい。
 
 「おいセアン、アスカ、すぐに警察来るってさ。いろいろと聞かれるのもいいけど、
 家に帰って遊べなくなるぜ! ここはとっとと行っちまうか。鳶丸も早くしろよ」
 
  少年3人組に促されるようにして、私もここから動くことにする。
 さて、あの変質者。ただ者ではないな。ボスに報告しておくか。
 
 
 
 
  私は急ぎ鳶丸をマンションの一室に戻すと、意識を本部にいる自分の肉体へと戻す。
 早速ボスに連絡だ。
 ボスの部屋のドアをノック、返事があることを確認し、扉を開く。
 中ではボスが、いつもと同じように自分にあてがわれた部屋でくつろいでいる。
 なんかイスをギシギシと揺らして遊んでいる。子供じゃないんだから、そういうことをしてないの。
 
 「お、おやおや、お早いお着きで、元之丞ちゃん、どうかしたの~?」
 
 「どうかしたのじゃないですよボス。出ました、キャバリアと思わしき人物です」
 
 「ほいほい。それじゃ鳶丸くんが送ってくれたデータを見させてもらうよーと。
 まったく、キミもなかなか忙しいね。この前はあの謎の女、安曇凛子に肉薄して、
 それで今度はキャバリア発見とは、大車輪の活躍だねーっ、と」
 
  カチカチと、ボスが手元の端末をいじる。
 
 「ふむ、なるほどこれは・・・ふむ、このガタイのでかいの、確かに人間のそれとは思えない動き
 をしているね。機械的なサポートを受けている可能性もあるけど・・・駆動音とかは聞こえない
 かな?ふむ、聞こえないな」
 
 「パワードスーツのような物をコートの下に着込んでいる可能性はあるわけですけど、
 見た感じ、コートの膨らみ方から言って、その可能性は低いと思います」
 
 「ふむ、確かにこいつはアルザゥク投入型の強化人間である可能性が高いねー。
 今回のキミの任務とは少しずれているけど、この発見、これはこれで価値があるね。
 ご苦労さん」
 
  そこでボスは自席を離れ、いつものソファに移動した、
 私にもソファに座るよう勧める。
 私がソファに腰を下ろすと、ボスはおもむろに話し始めた。
 
 「それでね、いくつか伝えておこうと思っていたことがあるのよ。
 ちょうどいいから今話しちゃうけどいいかな」
 
 「話してください」
 
 「うん、それじゃあまず、安曇凛子さんのことと、それからもう1つ、国内でアルザゥクが流出
 した可能性がある事件があったということ、この2点ね」
 
 「安曇の件と、アルザゥク流出事件ですか?」
 
 「そう、まず安曇凛子についてだけど、先日キミが調査してくれた情報を元に
 さまざまな角度、方向から彼女のことを詳しく調べ上げようと思ったわけよ。
 そしたらまあ、出てくる出てくるいろんな情報が、あんまし多くて、どれが本当なのか。
 今度は情報がありすぎて、何がなんだかわからなくなっちゃった」
 
 「情報がありすぎですか」
 
 「そう、彼女、安曇凛子の経歴を調べたら、ざっと1000通りは出てきたよ。
 そしてそれぞれにそれらしい証拠や証言がついて回っている。
 わたし、こういうの嫌なんだよねー。正直言って情報がまったく無い方がマシ。
 だって、出てきた数少ない情報を一つ一つ精査する余裕があるもん。
 それに対してこういう手合いは手のつけ所がない。
 困ったもんだね。どこぞの大きな諜報機関なら大人数でざっと洗いだすんだろうけど。
 まあ、とにかくどこかの誰か、多少規模の大きい何かが安曇凛子の情報を隠そうとしているのは
 事実だろうね。それにしても参るなあホント。
  それと、次はアルザゥクの流出事件があったんだ。
 つい1ヶ月ちょい前、キミも軽く関わった防衛装備品の調達会社の汚職事件、あったでしょ。
  ザナドゥ工業っていう会社ね。
 あれがそのあとね、社長さんとか、汚職に関わった重要なメンバーを全員取り逃がしちゃった
 らしいのよ。
 それでね、問題はさらにあって、この会社が摘発直前に海外から仕入れていた武器や医薬品が、
 帳簿の数から見ても足りなくてね。もちろんれっきとした・・・れっきとしたって言うのも
 おかしいけど、裏帳簿と照らし合わせて確認したわけだから、数が足りないとなるとこれは大変だ。
 本来なら民間人が決して持てないような強力な武器が、どこかに流れてしまう危険性がでてきた。
 そしてその中に、アルザゥクもあったようなのよ。つまり強化人間キャバリアを作り出す元がね。
 どこかに隠すか、あるいは持ったまま、社長さんたち逃げ回っているかもしれないのよね。
 いや、もしくは自分に使ったという可能性もでてくるわけなんだけど」
 
  それはそうだろう。
 昨日までとは一転し、自分が追われる身となってしまったら、出来る限り
 逃走の武器となるものを手に入れたいと思うだろう。
  アルザゥクを体内に投与すれば、慣れるのに時間はかかるものの、多くの逃走手段を得ること
 になる。
 人間をはるかに凌駕する速力、ジャンプ力、運動性、筋力、そして銃で撃たれたとしても効き目が
 ほとんどない防弾性。
 これは逃走者なら、全てを手に入れたいと思うような力だろう。
 
 「それでまあ、今わかることはと言えば・・・ほとんど無いと言うところだね。
 安曇凛子の素性も不明、彼女についてわかったことは、経歴を隠そうとしている何者かがいると
 いうことだけ。
 行方不明になった社長さんたちも行方不明、どこでなにをやっているかもわからない。
 現状ではキミが見た変質者と結びつけて考えるのも時期尚早という気もするしね。
 まあ、もう少しいろいろと調べてみましょう」
 
 「そうですね」
 
 「それとすまないけど、あの佐東少年、セアンくんと言ったっけ、彼がクラスメイトの女の子を
 助けたでしょ?悪いんだけど、あの辺りの鳶丸が記録している音声データ、全て音だけ抜き出して、
 後でわたしの方に提出しといてくれない? ちょっと気になるの、彼の耳が、ね」
 
 
  次の日、4年1組の教室は朝から大騒ぎになっていた。
 どうも加賀瀬さんが変質者に襲われたという情報は、すでに教室中の知るところとなっていた
 らしい。
 当の加賀瀬さんはやつれた顔で自分の席に突っ伏している。
 変質者の攻撃でショックを受けているのではなく、家で両親にガッツリと叱られたことが原因
 らしい。
 変質者に立ち向かった行為が無謀であるとのことである。
 
  いろいろと聞こえてくる言葉を総合すると、事件はこういうことだったらしい。
 彼女は変質者らしき男を見かけて、10mほど離れたところから何もされていないのに防犯ブザー
 を鳴らした。
 理由として、一度防犯ブザーを使ってみたかったとか、変質者をやっつけてやりたかった、と説明
 している。
 しかし、そうなるとやはりあのコートの男の化け物じみた能力が問題になる。
 コートの男は10m離れたところにいる加賀瀬さんの行動を確認した。
 それはいい、目で見るなり、耳で聞くなりして彼女を確認すればよい。
 問題はその後だ。コートの男は防犯ブザーのスイッチが入り、音が鳴る、そのほんのわずかの間に
 10mの距離を移動し、彼女から防犯ブザーを奪い取ろうとしたのだ。
 
  男はおそらく、脚部をアルザゥクの強烈な収縮力を使って猛烈に動かし、その上で
 少女に怪我をさせないよう(当初は)腕の力を加減し、防犯ブザーを奪い取るだけにしたかったと、
 そういうことだろう。
  アルザゥクを使用した感覚というものはよくわからないが、それだけ力の加減をコントロール
 するのはそれなりにアルザゥクに慣れた人間だということかもしれない。
 
  さらに問題がある。
 そう、最大の問題はコートの男、キャバリアがそこにいた理由だ。
 もしもその男が、例の装備品調達会社の関係者なのだとしたら、普通に考えればここにいる
 理由はない。
 人目につく人口密集地はなるべく避けたいというのが、逃亡者の心理ではないだろうか。
 そうじゃないにしても、いっそ海外に逃げ出しでもすればよいのだ。
 
  それがどんな理由でこの街にいたのか。
 たんなる偶然か、もしくは逃亡のための移動中だったのか。
 それとも何か理由があるのか、この町のどこかに、彼らの狙う何かがあるというのか。
 
  まだわからないな。
 判断するのは先だ。どうにも材料が足りなすぎる。
 
 「よう! おはよう鳶丸! なんだ、考えことか? ボケッとしやがって」
 
  気づくと、すぐ後ろに並木少年がいた。
 その横には佐東少年も野々村少年もいる。
 
 「やあ、ダイスくん、セアンくん、アスカくん。クラスの皆の話を聞いちゃったよ?
 昨日は大活躍だったんだね」
 
 「セアン、すごかったなもんな! かっこよかったぜ! ヒューヒュー」
 
  並木少年はヒューヒューと口で言っている。口笛は吹けていない。 
 
 「いや、そんなことないよ、それより・・・」
 
  佐東少年が何か言いかけたところで、クラスの誰かが佐東少年を見つけたようだ。
 先ほどまで事件の噂で持ちきりだった連中が、その会話の輪の中に佐東少年を引っぱっていく。
 輪の中心には加賀瀬さんがいる。なにやらスッキリした笑顔で「昨日はどうもありがとう、
 助かった」
 などとしおらしいことを言っている。
 それに対して佐東少年が「ううん、なんてことは」と返事をしている。
 そこで教室の扉がガラッと開けられる音がして、そこからイガグリ頭の仁科くんが出てきた。
 
  仁科くんは息も整わぬ様子で、教室をグルリと見渡す。
 お目当ての相手は加賀瀬さんだったようで、急ぎ彼女の元へと近づく。
 
 「海、話聞いたぞ? 大丈夫だったか?」
 
 「はあ? 心配することなんか1つもないわよ。あたしはこのとおり、セアンくんに助けられて
 ピンピンしてる!」
   
  加賀瀬さんは仁科君に対しては雰囲気を一変させた。
 ふんっと、胸を仰け反り、威張るようにして言う。
 
 「あんたが助けに来なくて良かった! なんせ仁科ときたら、昔からへなちょこで泣き虫で有名
 だったんだから!ホント、セアンくんで良かったよ」
 
 「そうか、まぁ無事で良かったよ。とりあえず、ありがとなセアン」
 
  クルリと仁科くんが佐東少年の方に首だけ向ける。
 仁科くんは神妙な面持ちで佐東少年をジッと見つめている。
 それに対して佐東少年は少し寂しげに微笑んだ。
 
 「ううん、どういたしまして」
 
  ほう、ほうほうほう。
 これは、なるほど、そうですか。
 くっふっふ。とりあえずオジサンにちょっと見せてみなさい、やらせてみなさい? 
 私には見えたかな、キミらの心理がね。これも私がトップエージェントだからわかるのだろうか。
 (本部の私の側では式部くんが『そうでなくてもわかるよ』と言っているが)
  佐東少年は、加賀瀬さんに恋心を抱いているのではなかろうか。
 加賀瀬さんはそれになんとなく気がついているようだが、気づいていない振りをしているように
 見える。
 加賀瀬さんは仁科くんのことが気になっているのだ。
 おそらく加賀瀬さんと仁科くんは幼馴染で、昔から互いをよく知る間柄なのだろう。
 加賀瀬さんは、仁科くんを好きになっている。
 仁科君は加賀瀬さんが好き。それで佐東少年は加賀瀬さんが好き。
 
  なんということだ! これが小学4年生の人間関係であっていいのだろうか?
 まったく最近の子供はませている。私はそう、おじさんらしく主張してみる。
 もちろん、心の中でだ。
 
  しかし切ないな佐東少年。
 ふられたら、酒の一杯も奢ってやらぁな。
 おっといかん、お酒は20才になってから。10年後に奢ってやろう。
 
 
 
 
 
  その日は午後からの2時間が4年1組のクラス会となった。
 
 「クラス会ってなんですか? 卒業生が集まるやつですか?」
 
  うわぉ! 式部くんが本部にいる私に直接話しかけてきた。
 びっくりするじゃないか、文楽55号の操縦中には話しかけないでくれ。
 私は鳶丸を一旦自動操縦、お行儀よく待機モードにして、式部くんに答える。
 
 「学校のイベントとかがある時に行われる大型のホームルームのことだそうです。
 いろんなことを先生が喋ったり、生徒同士が話し合って何かを決めたりするのにたくさんの
 時間が必要でしょう? そういう時間をこうして別にとって、クラス会と称して
 諸活動の準備をするのです」
 
  うむ、説明に間違いは無いはずだ。
 私は式部くんに、文楽55号の操縦中はなるべく話しかけないよう頼み、
 さらに鳶丸の操作を続ける。
 
  さて、教壇では宮下先生が弁舌を振るっている。
 そろそろ夏休みも近いということで、夏休みの予定の立て方、宿題のやり方、
 などなど、伝えたいことはいっぱいあるらしい。
 
 「それではみなさん、これで夏休みに関する説明は終わりました。
 今度は、夏休みが始まったらすぐに行われる林間学校について説明をします」
 
  クラスのみんながおおーっ、と歓声を上げる。
 なんだ、なんだ? 林間学校だと? 何がそんなに楽しみなんだ?
 
 「このクラスには転校してきたばかりの森下くんもいるし、もう一度説明するわね。
 この学校の林間学校は、この町のシンボルでもある音無山の中にある宿泊施設に泊まりに行きます。
 一泊二日の予定ね。来れない子はこれから配るプリントに、保護者の方からハンコをもらって
 明後日までには提出してください」
 
  ふむ、林間学校か。
 学校と場所によって内容はかなり違うようだが、ここでは音無山というところの宿泊施設を使う
 らしい。
 クラス全体で行われるお泊り会のようなものであろうか。
 
  プリントが配られ、再度内容が説明される。
 えーと。服装は運動や山登りが出来そうなものを、他にカッパのような雨具も用意する。
 荷物はリュックサックに入れること。
 歯磨きセット、タオル、ハンカチ、下着靴下の替え一式、おやつは1人300円まで、バナナは
 おやつに含みません。
 温泉があるとのこと、お風呂には石鹸やシャンプーが用意されています。
 水着での入浴は許可できないそうのなので、着用しないでください。
 寝泊りは出席順にベッドと部屋が決まっているので、間違えないように。
 もちろん男女は別々です。
 
  と、そんなところか。
 
  私のルームメイトとなるのは・・・野々村少年がいるな。 
 あとの4人はその他大勢でいいか。
 え? それはないだろう? そうは言われてもな、これ以上監視する対象を増やすわけでもないし。
 知っておいても仕方がない、ここは男子1、2、3、4でよかろう。
  なお、詳しく言うと丹羽、前田、宮部、脇坂の4人だ。
 偶然にも、かつての織田信長の家臣と似たような苗字が揃っているな。いやはや偶然とは恐ろしい。
 
 
 

 
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