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マンハンター ジャコウアゲハの夢

7章 5月6日まで

 



  5月6日 土曜日
 
 
  日月の家から学校に通うのは、今日が初めてだ。
 マウンテンバイクに跨り、登校ルートをひた走る。
 しばらくして学校に到着し、教室に入る。そこで水岡に捕まった。
 
 「ちょっと間宮、あんたさ、この連休中に少しは枕下先生について、調べてくれた?」
 
  いけない、すっかり忘れていた。
 
 「申し訳ない、すっかり忘れてた」
 
 「ふぅ、まあいいわ、あんまり期待してたわけじゃないしね」
 
 「そっちの友達は、まだ先生に入れ込んでるの?」
 
 「まあね。困ったもんだわ。ひがな一日中、『枕下先生(はぁと)』って感じよ」
 
  水岡が気味の悪いしなを作る。
 
 「ふぅん。そうなんだ」
 
 「昨日なんてさ、『あたし、絶対に枕下先生の家に遊びに行くの! 宿題が分からないとか
 言ってさ』
 ・・・なーんて、言い出して、先生の家の場所を調べ始めたのよ」
 
 「?枕下先生に家の位置を、直接聞けばいいじゃない」
 
 「うーん。どういうわけか教えてくんないのよ。他の先生に聞いても『最近は個人情報とか、
 プライバシーとかうるさいから、枕下先生が良いと言わない限り、教えられないの、ごめんね』
 とか言われちゃって」 
 
 「ふーん」
 
 「ま、こんな町に引っ越してくる人なんかそうそういないし、調べようと思ったら、結構簡単に
 分かると思う」
 
 「じゃあ、そんなに難しいことじゃなさそうだね。水岡はその探索に付き合ってあげるの?」
 
 「いや、さすがに断った。あたしもそこまで暇じゃないしねー」
 
 
 
 
  授業はいつも通りに始まった。
 件の枕下先生の英語は、3時間目に入っている。
 
 「ちょっと分かりにくいところですが、ここはジョニーがチャーリーに対して
 言っている言葉です。この Clement は『温和な~』の意味の形容詞であり、
 Clemency 『慈悲』 が名詞ですね。余談ですが、この Clemency『慈悲』は、
 天候が穏やかな時にも使います」
 
  丁寧な授業内容に、低姿勢な柔らかい言葉遣い。
 でもそれでいて締めるところはビシッと締める。
 そんな枕下先生は、早くも学校の人気者になっていた。
 
  また、良く働くらしい。
 新沼先生に教えてもらったが、枕下先生は若い頃に格闘技をやっていたとかで、
 先生たちの町内の見廻りには、積極的に参加しているようだ。
  いっそ何の護身術の知識も無い人が見廻るより、枕下先生のような人が
 見て廻ってくれるといいんだけど。とか、誰かが言っていた。
 
 「では、ここを間宮君に訳してもらいましょう・・・間宮君?」
 
  しまった聞き逃した。
 そんな僕を、後ろからつんつんするシャーペンがあった。
 
 「ボソッ 間宮、5行目、Why から」
 
  水岡の援護だ。僕はなんとかしどろもどろで答える。
 
 「はい、結構です。良い訳ですね。水岡さんも、ご苦労様」
 
  枕下先生は、耳の聞こえもいいらしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ◆ 5月7日
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  5月7日 日曜日
 
 
  木鹿毛高校の教諭、新沼は、今日に限って朝の5時に起こされた。
 携帯電話が新沼を呼び出すこと5回。
 新沼は電話をとった。
 相手は誰か、寝ぼけた頭で確認する。
 着信の相手は枕下だった。 
 
 「もしもし・・・新沼です。枕下先生ですか・・・どうかしたんですか・・・」
  
  ふぁー、と、大きな欠伸をする。
 
 「もしもし、新沼先生ですか、どうもすみません。急ぎの用事が入ったもので・・・
 実はですね、曾祖母の葬式に出なくちゃならなくなりまして」
 
 「はぁ、葬式ですか? ・・・そうですか・・・それで、休むんですか?」
 
 「はい、そうです。すみません・・・学校に連絡しても誰もいないし、誰かに言わなきゃ
 いけないしで・・・とりあえず、新沼先生に伝えておこうと思いまして・・・はい・・・
 もう、出発しなくちゃならないんですよ。それで、とりあえず先方に着いて落ち着いたら
 再度、学校には連絡しようと思ってます」
 
 「はい・・・そうですか・・・それで、いつまで休まれるのですか?」
 
 「今日、明日、明後日・・・下手をするとその次の日も休まなくてはならないかもしれません。
 つまり、5月10日まで休むか、5月10日には行けるか・・・と、事態は流動的です」
 
 「はい・・・そうですか・・・わかりました」
 
 「それでは、新沼先生、朝早くからどうも済みませんでした、失礼します」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  日曜日の昼下がり、えっちゃんは1人で枕下先生の家を探していた。
 さと(水岡聡子のニックネーム)は、一緒に来てくれなかった。
 面倒くさそうにして、断られてしまったけど、今思うと、彼女はきっと気を使ってくれたのだと
 思う。
 
  だって、枕下先生といい感じになっちゃったら、さと、居づらいしね。
 
  などと、考えていた。
 
  それにしても2時間は歩いたであろうか、当初目星をつけていたアパート等は探しきって
 しまった。
 枕下先生の家は、未だに見つからない。
 今日は、枕下先生が急用で町に居ないらしいので、チャンスなのだ。
 探索途中に先生に出会ってしまったら、気まずいたろうから、今日は先生がいてくれないほうが
 楽なのだ。
 
  おかしいなー。木鹿毛町で16年間暮らしてきたあたしが、アパート1つ見つけられないなんて。
 
  えっちゃんは結局、枕下先生の家を見つけることができなかった。
 
  アパートにも貸家にも居ない。なんてこと、あるわけないから、きっと、あたしの推理か、
 捜索活動に誤りがあったんだ。
 
  そう考えるのが、一番妥当だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ◆ 5月8日
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  5月8日 月曜日
 
 
 「お帰りなさい、周平さん」
 
  学校が終わり、日月の館へ帰ると、アルニーが外に出て待っていた。
 
 「ただいま、アルニー。風邪は大丈夫? ベッドに入ってなくて平気?」
 
 「はい、もう、すっかり良くなりました。言ったでしょう? たいしたことはないって、
 ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
 
 「いや、いいんだよ」
 
  そこで ポツッ と 水が滴った。
 
 「あら? 雨かしら」
 
  ポッ ポッ ポツッ と、水滴が地面に染み込む。
 雨が降ってきたのだ。
 
 「ああ、こりゃだめだ、家に入ろう」
 
 「はい、周平さん」
 
  僕達は家の中に入った。
 
 
 
 
 
 
 
  しばらくすると、雨は本降りになった。
 かなりの量だ。外からは雨の音しか聞こえない。
 
  白樺の森の奥にたたずむこの家は、まるで外界から完全に
 シャットアウトされたみたいになる。
 外部の音が消えただけなのに、この館にいる3人の人間以外、
 人という人が、この世から消えてしまったみたいに感じられた。
 
 「おかえり、周平。雨は今夜いっぱい 降るって」
 
  コフィが出迎えてくれた。
 
 「うん、分かった」
 
 「周平さん、夕食の支度が出来るまでのんびりしていてください。
 この前のお礼も含めて、今日は少しばかりご馳走を用意します」
 
 「いや、そんな気を使わなくてもいいのに」
 
 「どうか気になさらないでくださいな。わたしがやりたいだけのことですから」
 
 「そうか、じゃあ、楽しみにしてるよ」
 
 「はい、楽しみにしていてください」
 
  僕は自分に割り当てられた部屋へと行く。
 それにどういうわけか、コフィが付いて来た。
 
 「コフィ、どうかした?」
 
 「ふふ」
 
  コフィはただ笑うだけだ。
 結局、部屋の中まで追っかけてきた。
 戸を閉めても、コフィは部屋の中に居座っているままだ。
 
 「用があるなら、早く言って欲しいけど」
 
  僕はカバンをフックにかけながら言った。
 
 「周平に聞きたい事がある」
 
 「何?」
 
 「周平、アルニーのこと、好き?」
 
  ドキッ とした。
 
 「うん、いい娘だよね。僕はああいう女の子は好きだな」
 
  微妙に答えをぼかす。
 
 「ふふふ・・・そういう意味じゃなくって・・・周平は、アルニーを1人の女性として
 愛することができるのか?って聞いてるの」
 
 「・・・」
 
 「答えて」
 
  黙りこくった僕を、コフィが睨みつける。
 どういうわけか、この少女の青緑色の瞳が、とんでもなく恐ろしく感じた。
 
 「・・・うん、好きだ。僕は、アルニーのこと、好きだ」
 
  正直に答えた。
 コフィは答えさせてどうするつもりなのだろう。
 まさか、『アルニーに不埒な思いを抱く奴は出て行け!』とか言うのだろうか。
 
 「ああよかった」
 
  コフィの瞳から、不可思議な威圧感が消えた。
 
 「ねぇ、それじゃあ、周平は、コフィのこと、どう思う?」
 
 「・・・うん。可愛い女の子だと思うよ」
 
 「本当に?」
 
 「うん」
 
  どのみち、雰囲気はまったく別物でも、顔かたちはほぼ同じなのだ。
 どちらか一方が可愛くて、どちらか一方が可愛くない、なんてことはありえないと思った。
 
 「それじゃあさ・・・」
 
  コフィが僕に迫ってくる。
 思わず僕は後ずさりし、ベッドに腰を持たれかける。
 それでもコフィは迫ってくる。
 
 「コフィも、アルニーと同じように愛してって言ったら、コフィのこと、愛してくれる?」
 
  コフィが僕にもたれかかる。
 子供っぽいトローンとした表情に、僕が今まで見たことがないような妖しげな色を放って。
 コフィの髪の毛から、コフィの身体から、なんかとてもいい匂いがする。
 
 「ちょ、ちょっと、それはふた股だろ? それはまずいよ」
 
 「別にいいじゃん。コフィはね、アルニーと2人で、周平に愛されるの、それがいいの」
 
 「な・・・」
 
  その時だった。
 
  悲鳴が家の中に響いた。アルニーの声だ。
 
 「アルニー・・・アルニー!」
 
  コフィをそっとどけて、僕は駆け出した。
 なんとなく、助かった気がした。
 
 
 
  
 
 
 
 
 
  アルニーはリビングに駆け込んでいた。 
 顔は真っ青だ。
 
 「周平さん、周平さん!」
 
  アルニーが僕の胸に飛び込んだ。
 真珠色の髪がさらりと流れた。
 
 「だれか、誰かがいたんです、窓の外に、誰かいるんです!」
 
 「なんだって・・・?」
 
  アルニーはフルフルと震えている。
 そんなアルニーを勇気づけるように、ちょっとだけぎゅっと抱きしめると、僕はキッチンに
 向かった。
 
 「周平さん」
 
  アルニーが僕を追いかけてくる。
 僕はキッチンに入った。鍋が2つ、火にかかっている。アルニーが火を止めた。
 僕はアルニーに無言で合図する。
 
 (どこに見えたの?)
 
  アルニーはキッチンの一番左端の窓を指差した。
 そこからは、庭の様子が少しだけ見える。
  視界に、人間大の、動くものが見えた。
 
  緊張が体を襲う。
 
  目を凝らしてよく確認する。
 
  よくよく見ると、積み重ねた白いイスと、そこに立てかけてあるたたんだパラソルが、
 風に揺れているだけだった。
 
 僕は思わずため息をついた。
 
 「ふぅー。大丈夫、イスだよ。イスが人に見えたんだよ」
 
 「イス・・・ですか?」
 
  アルニーも、僕に習って外を凝視する。
 
 「あら・・・イス・・・ですね」
 
 「うん」
 
  なんとなく、2人で笑ってしまった。
 
  
 
 
 
 
 
 
  それから3時間ほどして、夕食が始まった。
 
  かちゃかちゃと食器が音を立てる。
 いつも通りにコフィはアルニーに口元を拭いてもらう。
 ほどなくして、コフィが席を立った。
 
 「あら? どうしたのコフィ? もう、お腹一杯なの?」
 
 「おしっこ」
 
 「・・・もう、せめてお手洗いと言いなさいな」
 
 「お手洗い」
 
 「はいはい。いってらっしゃい」
 
 「うん行ってくる。・・・周平、そこにあるオレンジ、食べないでね」
 
 「オーケー」
 
  とてとてとて と、コフィはリビングの方から、廊下へと抜ける。
 
 「もう、あの娘ったら、食事時はああいう言葉は言ってはだめだって言っているのに」
 
 
  それから10分が過ぎた。
 コフィはまだ戻ってきていない。
 彼女の席のコーンポタージュは、もう冷め切っている。
 
 「・・・おかしいわ。コフィ、遅いわね」
 
 「うん。・・・ちょっと見てこようか。お腹が痛くなったとか」
 
 「そうだといいのだけど」
 
  アルニーは不安がっている。
 そこで僕が立ち上がって移動しようとした瞬間。
 
  家が停電した。
 
  バスッと、どこかで大きな音がして、全ての家電製品が動きを止めた。
 
 「きゃあ!」
 
  アルニーが悲鳴を上げる。
 
  静かになった家の中に、ただ、雨の音だけが響き渡る。
 不安が、僕の頭をよぎった。
 
 「アルニー・・・念の為だ、セーフティールームに入ろう」
 
  僕は言った。
 
 「でも、コフィが・・・」
 
 「コフィは僕が見つけてくる。アルニーの部屋のセーフティールームで落ち合おう」
 
 「はい、・・・気をつけてください。コフィのこと、お願いします」
 
  僕はアルニーを部屋まで届けた後、コフィを探し始めた。
 
 
 
 
  相変わらず外は雨だ。
 時折窓の外を見ると、屋根のひさしからの雨だれが、凄い勢いで流れ落ちているのが見えた。
 暗い館の中を、わずかな光と手探りだけで歩き回る。
 
  トイレ いない。
 
  バスルーム いない。
 
  リビングにキッチン いない。オレンジもそのまま。
 
  僕の部屋 いない。
 
  コフィの部屋 いない。
 
  とりあえず、アルニーの部屋に行く。もしかしたらアルニーの部屋にいるかもしれないし、
 どちらにせよ、コフィが行きそうな所の情報を聞いてから再度探そうと思った。
 
 
  コンコン 戸をノックする。
 
 「アルニー、僕だよ、周平だよ。・・・ごめん、まだコフィは見つからない。こっちに来て
 ない?」
 
  返事がない。
 
 「アルニー、どうかした? 僕だ。周平だよ」
 
  返事がない。
 猛烈に嫌な予感がした。
 僕はゆっくりと、アルニーの部屋に入った。
 誰もいない。どういうことだ? 
 
  次の瞬間、後ろから強烈に、頭を殴られた。
 
  ・・・戸の陰に・・・誰かがいたのだ・・・。
 僕は気を失った。
 
 
 
 
 
 
  物凄く、雨が降っている。
 音だけが、やけに響いている。
 
  なんだか、冷たくてザラザラしたところに倒れている。
 ・・・。
 目が開く。ほんのりと明るい。
 
 「周平さん・・・ううっ・・・周平さん・・・」
 
 「周平・・・」
 
  2人の声がする。
 外が真っ暗だ。ここは・・・温室だ。
 
 『お目覚めかい。ヒーロー君』
 
  目が覚める。
 ぼんやりとした視界に・・・アルニーとコフィが見える。
 2人は両手を縛り上げられ、宙吊りにされている。
 
  なんだか、蜘蛛にでも捕まった蝶々みたいに見えた。
 
 「アルニー・・・コフィ・・・一体どうなって・・・」
 
  歩き出そうとして、転んだ。
 足を誰かに掴まれていると感じた。
 だが、見てみると違った。縛られていた。
 腕も動かせない。縛られていた。
 
 『今世紀最高の、ショーの始まりだよ、ヒーロー君』
 
  何の声かと思ったら、誰かおかしな格好をしている人が居る。
 背が高くて、黒いライダースーツを着て、バイクのヘルメットを被った人がいた。
 声はボイスチェンジャーで変えられている。
 
  正直なところ、なんだか良く分からなかった。
 なんだか、映画のワンシーンか何かみたいに見えた。
 実際に、ビデオカメラのようなものも、セットされていた。
 
 『今宵、これから起こりますは、涙とヨダレ抜きでは語れない、麗しき少女の虐殺ショーで
 あります』
 
  ヘルメットが高らかに言う。
 
 『こちらが、日月アルニー』
 
  ヘルメットがアルニーの顔にナイフをつきつける。
 
 『こちらが、日月コフィの、双子の姉妹であります』
 
  ヘルメットがコフィにナイフをつきつけ・・・手馴れた手つきで
 上着を引き裂いた。コフィの白いお腹が、むき出しになる。
 
 『ああ・・・なんていい匂いがする身体なんだ・・・』
 
  ヘルメットはバイザーを少し開け、コフィのお腹に鼻を近づけて、匂いを嗅いでいる。
 
 「いや、いやぁ! コフィ! コフィ!」
 
  アルニーが叫ぶ。
 
 『ご覧ください、この美しい姉妹を! この鳥かごのような温室で、花に包まれた庭を背景に、
 蝶が蜘蛛に捕まったかのように! 2人はこれから生きたまま喰われるのです!』
 
  コフィはボーっとしている。
 
 『そしてそれを喰い散らかすは、皆さんお待ちかねの、わたくし、マンハンターであります』
 
 『さて・・・』
 
  ヘルメットが僕の方にくる。
 
 『麗しの姫君を守れなかったナイトさん。負け犬になったご感想を』
 
 「・・・」
 
 『なんか喋れや、こら』
 
  ガスッ 痛みと目眩が僕を襲う。
 ライダーブーツで蹴られたらしい。
 
 「がはっ」
 
 「やめて!」
 
  アルニーが叫ぶ。
 
 「お願いです。やめてください。周平さんに、ひどいことしないでください・・・グスッ
 ・・・ウッ」
 
  その様子を、コフィがボーっと眺めている。
 
  ヘルメットがアルニーに近づく。
 
 『人にものを頼むときはさー、なんか、提供するとかさ、差し出すのが常識じゃない? 
 アルニーちゃん』
 
 「・・・」
 
 『どう? わたくし、間違ったこと言ってます?』
 
 「グスッ・・・あ、あなたの欲しいもの、何でもあげます・・・だから・・・」
 
 『うーん、ちがうなー、オレとしてはこう言って欲しいナー。あなたの言うことなんでも
 聞きますって言って』
 
 「グスッ・・・グスッ・・・あ、あなたの言うこと、何でも聞きます」
 
 『うーん、ちがうなー。 マンハンター様の言うこと、何でも従います。って言って』
 
 「グスッ・・・マンハンター様の言うこと、何でも従います・・・グスッ」
 
 『オーケー、オーケー、愛だね。愛なんだね』
 
  ヘルメットは、そのバイザーの下で、笑っているらしかった。
 
 『それじゃあまず、このヒーロー君を気絶させて・・・っと』
 
 「や、やめて!」
 
  アルニーの悲鳴と共に、僕の身体に大電流が流れた。
 スタンガンだろう。僕の記憶はここまでだった。
 
 
 
 
 
 
  周平は気絶した。
 
 『さてっと・・・』
 
  ヘルメットはアルニーとコフィの方を振り返った。
 
 『まずは、コフィを解体して食べる。アルニーには、その光景をじっくりと脳に焼き付けて
 もらって・・・』
 
  身体がぐちゃぐちゃになったコフィを、
 精神がぐちゃぐちゃになったアルニーを、この坊やに見せる。
 
  と、言おうとした所で、ヘルメットは不思議な光景を見た。
 
  アルニーもコフィも、既に地面に降りている。
 吊るし上げたはずなのに、なんともなさそうに、立っている。
 
 「ふぅ、さすがに痛かったわ・・・ねぇ、コフィ。周平さん、本当に気絶してるわよね?
 それと、カメラは止めたかしら」
 
 「間違いないわ、アルニー。胸の規則正しい呼吸回数等から、彼が気絶しているのは間違いない。
 カメラも止めた。まぁ、問題はないと思うけど、一応念の為にね。なんなら、確かめてみる?」
 
  アルニーはスタスタと歩いて、周平のところに行った。
 アルニーは慈愛に溢れる手つきで、周平の状態を確認した。
 
 「ああ・・・良かったわ。周平さんは無事ね。でも、かわいそう、とても痛かった
 でしょうに・・・」
 
 「周平も痛かっただろうけど・・・アルニーの演技は輪をかけて痛かったよ。
 もぅ、なんていうの? 役に成りきってるって感じ」
 
 「あら! ひどいわコフィ、わたしはわたしで、真剣になってやっていたのに、
 コフィこそ、手を抜きすぎよ」
 
 「ふんだ。アルニーの演技見てたら、馬鹿らしくなっちゃったんだもん」
 
  姉妹はまるで、ヘルメット男がいないみたいに振舞う。
 
 『どうなっている』
 
  ヘルメット男が手元のスイッチでカメラを動かそうとする。
 しかし、カメラはうんともすんとも言わなかった。
 
 「あら、もうボイスチェンジャーは野暮じゃありませんこと? 先生」
 
  ヘルメット男が顔を出した。
 そこにいたのは、枕下先生だった。
 
 「いつから気づいた?」
 
 「先生が赴任なされた時からです」
 
 「どうやって降りた」
 
 「コフィに降ろしてもらいました。あの娘、縄抜けとか、得意なんです。
 だめですよ? 先生。女の子を縛り上げるときは、ボディーチェックを綿密にしなくちゃ」
 
 「ちっ・・・みゃぁいい」
 
  枕下はナイフを取り出した。
 黒光りする、これまで何人もの人間を捌いてきたナイフだ。
 
 「もう1度、捕まえりゅたけあ」
 
  枕下は全身の力を振り絞って、コフィに襲い掛かった。
 
  それは、物凄く鈍かった。
 
 「・・・捕まえて欲しくっても、捕まえてもらえないね」
 
  コフィが笑う。
 
 「・・・じょうなってりゅ」
 
  どうなっている・・・と、言いたかったのだろう。だが、ろれつが回らない。
 舌が、顎が、動かない。
 
 「ふぅ、利きが遅くて、少しドキドキしました。
 だめですよ、枕下先生。危険な毒性を持った植物って、案外身の回りにあるものなんです」
 
 「いづゅのもに」
 
  いつのまに・・・だろう。
 
 「ずっとです。わたし達の体から、髪から、何かの芳香がしませんでしたか?」
 
 「女の子の身体の匂いをそんなに嗅ぐなんて・・・先生いやらしいんだ」
 
  くすくすと、コフィが恐ろしい瞳で笑う。
 
 「体が痺れちゃうお薬です。先生がガスマスクを持っていないことを見計らっての、
 トラップです」
 
 「ま、ガスマスクなんて持ち運んでて見つかったら、怪しまれるもんね」
 
 「ろりらるわ、びょーすてらりろろるら」
 
  すでに発音が不可能になってきている。
 なお、周平はどうして大丈夫なんだ。と、聞いている。
 
 「・・・何を言っているのか、もう、分からないわね」
 
 「周平になら、解毒薬を毎日摂って貰ってる。初日はあたしが口移しで飲ませたけど」
 
 「もう、あんな手はずじゃなかったのに・・・あれは本当にびっくりしたわ。
 まぁ、結果オーライだから、いいのだけれど」
 
  
  トサッ と、枕下は倒れた。
 かぐわしい芳香が、コフィとアルニーの身体から放たれていた。
 枕下の鼻は、その奥の奥まで、この姉妹の肉体から香る、麝香のような香りで侵されていた。
 
 
 
 
 
 
 
  しばらくして、枕下の目が覚めると、そこはどこかの地下室だった。
 彼は何かの台に大の字になって縛られていた。
 
 「・・・」
 
 「おはようございます。先生」
 
  そこに白くて美しい姉妹が立っていた。
 2人はビキニタイプの水着姿だった。
 
 「ふふっ、先生、ご気分はいかがですか?」
 
  2人の美しさは異常だった。
 その整った顔に、不気味なまでの愛らしい笑みを浮かべている。
 
  コフィが、何かを舐めている。
 変わった形のアイスキャンデイーを舐めているみたいに見える。
 枕下の目には、最初はそのアイスキャンディーが、ヒトデのように見えた。
 だが、目をこらしてよく見てみたら、見覚えのある手だった。枕下の自分の手だった。
  
  見ると、2人の少女は返り血で染まっている。
 水着は、服を汚さない為の工夫なのだろう。
 
 「さぁ、それでは先生をご馳走になりますね・・・っていうか、
 すでにコフィが少し食べちゃってるんですけど」
 
  枕下の身体は、いくらか欠けていた。
 
 「・・・どうして・・・オレを・・・」
 
 「ふふっ、マンハンターとしては、先生はまだまだですわ?
 だって、食べ残しを残す上に、人との繋がりを持った人を食べるから、世の中を
 騒がしくしてしまう・・・」
 
 「もぐもぐ、ごくん。マンハンターが食べる獲物は、社会との接点が少ない人がいいのよ。
 例えば、マンハンターは食べやすい。社会との接点が最小限の人が多いし」
 
  ぺろぺろと、コフィは艶かしい舌使いで枕下の人差し指を味わっている。
 
 「おいしい・・・先生の手・・・コリコリしてて、おいしいよ・・・」
 
 「あの少年も、いずれ喰うのか、この化け物め」
 
  枕下の声はとても小さい。声帯が押さえられているのか。
 
 「まぁ、人聞きの悪い・・・周平さんは、わたし達の愛する大切な人です。
 わたし、こう見えても怒ってるんですよ? 周平さんをあんなに傷つけて・・・許せませんわ」
 
  アルニーは 『めっ!』と、可愛らしく怒って見せて、枕下の腕の肉をくりぬいた。
 血が出る。アルニーの白い顔に赤い飛沫が点々と付く。
 麻酔が効いているのだろう。痛くは無かった。
 
 「パクッ と、周平さんは大切な人・・・とてもとても大切な人・・・だって、あんなに
 不味いんですもの」
 
 「そう、周平の体液はね、ものスッゴク苦くて、渋くて、エグミがあって、生臭いの・・・特に、
 唾液とか、口の中の粘膜とか、もう、異様なエグミなの。・・・ふふっ、アレを味わったら、
 しばらくは人を食べたくなくなるわね」
 
  コフィが、枕下の側に身を横たえる。
 コフィはグッと顔を枕下の顔に近づけて、唇のあたりを嘗めまわし、キスをする。
 
 「ぴちゃ、ぴちゃ・・・はむ・・・よっぱり、普通の人は唾液も美味しい・・・」
 
  コフィがうっとりする。
 
 「だから・・・周平とは上手くやっていける。周平には、食欲が湧かないから、きっと一緒に
 暮らしていける」
 
  アルニーも微笑を浮かべる。
 
 「周平さんとなら、わたし達も家族でいられる」
 
 「寂しかったの・・・ずっと・・・誰とも一緒に居られない。だって、食べてしまうから。
 あの人なしでは、あたし達は生きていけないわ。わたし達には、温もりが必要なの、
 人の温もりが・・・」
 
 「・・・」
 
  枕下の顔から、表情が消えていく。
 
 「おまえらは・・・勝ったつもりだろうが・・・写真や動画は、ネットで流れているんだ・・・
 いずれ・・・お前たちに食欲を覚えた連中が・・・ここに大挙してやってくるぞ・・・」
 
 「あら、大丈夫よ」
 
  アルニーが笑う。
 
 「ふふふっ・・・だって、あのホームページ、管理してるの、わたしだもの」
 
 「な・・・に・・・」
 
 「あなたみたいな人を、誘いこむ撒き餌なのよ。わたし達の写真は」
 
 「・・・」
 
  2人は、枕下を背に、地下室から出て行く。
 その背中に、赤いやけどのような痕が見えた。
 
  まるで2人で、蝶を背負っているみたいに見えた。
 
 
 
 
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 ◆ 5月9日
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  5月9日 火曜日
 
 
  枕下のノートパソコンが動き出した。
 今では珍しくなった旧式の回線で、インターネットにアクセスする。
 機械の頭脳は、あくまでも主に忠実に、定められた仕事をこなす。
 コンピューターが自動的にメールを作成していく。
 
 『どうもすみません、重ねて、枕下です。
 葬式の後に親戚に揉め事が発生しまして、すぐには帰ることができなくなってしまいました。
 5月の10日の夜には、帰る予定です。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします』
 
  ノートパソコンは、日月の家の地下室にあった。
 次第に欠けていく我が身を見ながら、枕下は葬式は縁起が悪かったかもしれないと思っていた。
 
 
 「ねぇ、アルニー」
 
  枕下の脇の辺りにコフィがいた。あいもかわらず血濡れの水着姿だ。
 彼女は枕下の胸の辺りを、撫でたり、さすったり、切り取ったり、食べたりしている。
 
 「今回はちょっと危なかったね。もっと安全でいい方法を考えておこうよ」
 
  ん、おいしい。と、付け加える。
 
 「そうね」
 
  と、アルニーが相づちをうつ。
 アルニーはアルニーで、さっきから何時間も赤身の肉を舐めている。
 そして時折、噛み切っては咀嚼している。
 
 「ぴちゃぴちゃ、はむはむ・・・こくん。今度はもっと、お薬を改良しておきましょう。
 あと、周平さんに知られては困るから・・・周平さん対策も考えておかないと」
 
 「うんうん、もっと効率が良くて安全な方法を作り出そう。それで、もっとスムーズに狩りを
 しようよ」
 
 「そうね、もっといい方法を考えなくては・・・そうだわ、そういえば、そろそろお夕飯の
 準備をしなくちゃ・・・今日はハンバーグがいいかしら」
 
  アルニーはおもむろに立ち上がると、地下のシャワー室へ向かった。
 アルニーがシャワーに入ろうとした所で、コフィが声をかける。
 
 「にくキライー!」
 
 「もう、コフィたらっ。こっちばかり食べてないで、たまには豚さんも牛さんも食べなさい」
 
 「ぶぅーっ、美味しいもののあとに、まずいもの食べたくない」
 
 「がまんなさいな、わたしだって・・・」
 
  アルニーは枕下を見て笑った。
 
 「こっちの肉の方が好きなのよ?」

 
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 ◆ 5月10日
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  5月10日 水曜日
 
 
  枕下のノートパソコンが動き出した。
 機械の頭脳は、あくまでも主に忠実に、定められた仕事をこなす。
 コンピューターが自動的に、高校の電話に留守番電話を入れた。
 
  まず、電車が何台も走る音、そしてその合間をぬってアナウンスが入る。
 
  4番線にー、列車が到着いたします。
  みなさん、白線の内側までお下がりください。
 
  もしもし、枕下です。これから帰るところです。
  明日の朝の授業は出来るように、帰ろうと思っています。
  えー、みなさん、今までご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
  
  枕下はもう少し何かを喋っていた様子であったが、
  新たにホームに滑り込んだ電車の音で、何もかもがかき消されてしまった。
 
  電話は、ここで終わった。 
 枕下が自作自演した、音データの集合体であった。
 
  そして、5月11日になっても、12日になっても、13日になっても、枕下は帰って
 こなかった。
 学校は、警察に1人の教師の行方不明を伝えた。
 
  枕下は、年間3万人以上にもなる、行方不明者の1人として処理された。
 
 
 
  彼がこの世から肉片一つ残さずに消え去ったのは、それから1ヵ月後の事だった。

 
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