レトロゲームトラベラー

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ペティグリード ジュブナイルズ

1章 潜入開始!

 


 
  私の名はコードネーム31。
 日本の諜報機関に所属するエージェントである。
 無論、エージェントと言ってもいろいろだ。
 私は調査対象となる組織に潜入し、情報を手に入れることを主な任務とする
 エージェントだ。
  
  つまり、わかりやすく言うとスパイというやつだ。
 
  しかし、ここ最近は暇である。
 つい1ヶ月ほど前に、大きな事件を解決してからと言うもの、これと言って仕事が無い。
 確か大きな軍需産業の不法な取引だったと思ったが、まあ、どうでもいいことだ。
 いやまあ、どうでもいいなんて言ったら怒られるのかもしれないが、
 それにしたところで末端の工作員である私は事件に深く関わってはいないし、
 そもそも事件の概要なんてほとんど知らされていないしな。
 いや、別に除け者にされているわけではないぞ?
 
  まあいい、どのみち、あとは上の方のお偉いさんが片をつけるのであろう。
 それにしても、いい加減仕事が欲しくなってきた頃だ。
 そろそろ自宅待機は勘弁願いたい。
 
 
 
  そうこうしているところで、早速本部に呼ばれた。
 なんでも重要な任務が私を待っているのだという。
 願っても無いことだ。私ほどのエージェントとなれば、本来は引く手あまたなのだ。
 こんな私が都会の片隅で自宅待機し、テレビゲームばかりやっているというのは国家的損害だと
 言えるだろう。
 
  
  私は市内某所の潜伏先(アパート)から、諜報機関「特殊技能者派遣協会」の本部へと移動する。
 移動手段は自転車である。近くの自転車屋さんで買った3段切り替えの軽快車だ。
 なお、こういう軽快車のことを、通称ママチャリというらしい。
 
  私は自転車のペダルを漕ぎ、エッチラオッチラと道を進む。
 スパイと言うと、たいていの人は映画に出てくるド派手なモノを想像しがちであろう。
 だが、それは違うのだ、それではいけないのだ。
 そもそも特別あつらえの車を使ったりしては、何か特別な連中だとすぐにバレてしまうのだ。
   
  だからこうして私は職場に向かうのに自転車を多用している。
 別に予算が無いからとか、迎えの車を送ってもらえないとか、そういう理由からではない。
 
  特殊技能者派遣協会の本部は、寂れた埋立地の上にある。
 なんでもこの建物は埋め立て工事の際に宿舎として使われていたものらしい。
 プレハブ工法の、素敵な2階建てである。
 それが大手工務店が不況のあおりで倒産し、埋め立て工事も何もかも中地半端にほったらかしに
 されていたのをうちのボスがいろんな手づるを使って入手した物なのだそうだ。
 別に盗んだわけではないぞ。
 
 
  100平方kmもあるという埋立地は、ほとんどが丈の高い草で埋め尽くされている。
 さらに時には野生の狸やアライグマが出ると言うから、とんだ都会の大自然である。
 
 
  さて、そんなことを考えながら30分もペダルを漕げば、そこはもう本部だ。
 高さ1.5mのトタン板を塀にし、グルリと周囲を囲ませた100m四方のこの場所こそ我が
 職場である。
 
  私は適当にゲートをくぐり、敷地へと入る。
 入ってすぐ左脇に駐車場と書かれた看板があり、1台の軽自動車が止まっていた。
 別に自転車置き場とかいうものは存在しないので、邪魔にならないところに停めておく。
 そうそう、盗難防止のため、自転車にチェーンをかけることを忘れてはならない。
 
 
  さて、建物に入る。
 アルミ製の扉を開けると、そこは小さなロビーになっている。
 そしてロビーにはモップを持って掃除している1人の女性がいた。
 可愛らしいスカイブルーのエプロンドレスに身を包んだ女性。
 彼女こそ我が機関の秘書兼受付嬢兼狙撃手 梨本式部 20才である。
 20才にしては子供っぽい顔立ちをしている。女子高生でも通用するかもしれない。
 
  そんな彼女だが、名家(だと聞いた)梨本家のお嬢様なのだそうだ。
 そして超A級スナイパー。その狙撃の成功率は97.6%だという。
 髪はポニーテールにしたり三つ編みにしたり、その日によっていろいろで、今日はポニーテールだ。
 愛銃はスペシャル・タクティカル・スナイプ・システム。メーカー特別あつらえのスナイパー
 ライフルだ。
 さらにこれに「式部スペシャル」と称してさまざまなアクセサリーをつけている。
 本当にストラップや小さなヌイグルミがわんさか付いている。
  一応本人いわく「重量バランスの調整用」と言っているが、たぶんカワイイからそうしている
 だけだと思われる。
 他の武器の射撃もなかなからしい。見たことが無いのでよくわからないが。
 
 「あら、元之丞さん、おはようございます。もうモンスターファンタジーの方はクリアしたん
 ですか?」
 
  式部くんは掃除の手を止め、こちらにペコリと一礼。
 式部くん、私は別にゲームをやるだけの人間ではないのだよ。と、心の中で呟いておく。
 
 「今日は仕事の話があるって主任から聞いたんですけど」
 
 「あらごめんなさい! そういえばそうでしたね。主任なら2階の部屋にいますわ。
 さあどうぞどうぞ」
 
  彼女は当たり前のように掃除を再開した。
 別に先導してくれるとか、そういうことはないらしい。まぁ当たり前か。
 
 
 
  私は階段を上がり、2階へと移動する。
 しばらく廊下を進むと主任のいる部屋が見えてきた。
 扉の前に立ち、コンコンとノックする。
 
 「元之丞くんかい? まあまあ、入った入った」
 
  中から野太い男の声でいらえがあった。
 主任がいるのだろう、私は部屋に入る。
 
 「やあやあ、元之丞くん、元気ー? わたしも元気だよー、さ、座って座って」
 
  私は促されるまま、向かい合ったソファの片方に腰をかけた。
 
  さて、この男が特殊技能者派遣協会のボス、天城宗司である。年は48才。
 整髪料でバリバリに固めたオールバックに気の抜けたようなのほほん顔。
 体型は中肉中背といったところだ。
 しかしこれで実は相当な切れ者であるらしい。
 過去にはいくつもの難事件に関わってきたらしい。だが、その武勇伝は一切明らかにされていない。
 ここには左遷されてきたらしい。出世コースからは外れている。
 (そもそもここにいる限り出世などありえないのだが)
 なんでも「関東の天城」という通り名で、筋では有名人なのだそうで、
 他に「飢狼」「ドラゴンキラー」「沈まずの天城」「串カツの宗司」「うさぎの天城」などと
 呼ばれているそうな。
 うさぎや串カツが何を意味しているかはよくわからない。
 ボスはうさぎをペットとして飼っているし、串カツが好物なのは知っているが、たぶん関係は無い
 だろう。
 
  そんなボスが、吸っていたタバコを灰皿で消しつつ、こっちを見る。
 今日もなんだか眠たそうだ。
 
 「それでそれで? モンスターファンタジーの方はクリアしたの? いやー、うちの子供も
 やってるんだけどね。『パパ、もんふぁんもわからないんじゃ、クラスでやっていけないんだよ?』
 とか言われちゃってさぁ。
 オレも若い頃は結構ゲームとかしたんだけど、どうも最近のゲームにはついていけなくって。
 最強アイテムだっていう話の相州五郎正宗の作り方がわからないって子供が機嫌悪くて、
 参っちゃって。それであれはどうするの? コントローラーを触らずに30分置くんだっけ?」
 
 「主任まで私を重度のゲームフリーク扱いですか?
 いい加減、仕事の話を始めましょうよ。
 あと、コントローラーを置く時間は5分でいいし、最強アイテムはピコポンハンマーです」
 
  もっと言うとスキル次第ではオリハルコンハリセンも有望株なのだが、話が終わらなく
 なりそうなのでここでは黙っておくことにした。
 
 「ああ、そうなの? 息子が言っていたのと違うなぁ、まあいいや、あとで作り方教えてよ。
 息子に教えなきゃならないんだ」
 
  主任は年寄りのように背中を曲げて、こちらの席へと歩いてくる。
 そして私の向かい側に「どっこらせっと!」腰を下ろすと、おもむろに資料を並べ、話し始めた。
 
 「はい、んじゃ、元之丞ちゃん、ちゅうもーく。この写真を見てくださーい」
 
  そういえば一度もコードネームを呼ばれていない。元之丞って私の本名じゃないか。
 スパイの本名を連呼して欲しくないとつくづく思う。
  まあいいか、とにかく主任の指先には3枚の写真があった。
 その写真にはそれぞれ1人ずつ、小学生らしき男の子の姿が写っている。
 学校の登下校時と思われた。
 
 「この子供たちがどうかしましたか?」
 
  少年愛に目覚めでもしたのだろうか。
 
 「はい、どうかしたんです」
 
  やはりどうかしていたのか。
 
 「この子供たちを元之丞ちゃんに監視して欲しいんです。
 それでその能力とか、関係者の素性とか、いろんなことを調べ上げて欲しいんです」
  
 「監視? しかしなぜ」
 
 「それをこれから説明します、まずはこの資料をどうぞ」
 
  主任から数枚の便箋が手渡される。
 そこには手書きで次のように書かれていた。
 
 
 
  国内に存在する液体金属使用強化人間(キャバリア)に関して
 
  キャバリア。別名シルバーブラッド、ホムンクルスとも呼ばれる強化改造人間。
 「アルザゥク」という液体金属を用いてその身体能力を異常発達させた人間である。
 
  3年前、世界的な軍事企業「ピースメーカー」の崩壊に端を発した「スターゲート事件」
 からその存在が一般に知られることになったこれらの強化兵士、通称キャバリアであるが、
 このキャバリアと思われる人間が3人ほど日本国内で発見された。
 
  私は一旦、手元の資料から視線を外し、物思いに浸る。
 キャバリアか。
 人間を強化した人間。改造人間、強化人間、サイボーグ。
 それはかつてフィクションの中にしか存在しなかった「超人」が、現実の存在として
 この世に出現したときの名前だった。
 
  最初は正直言って、冗談以外の何物とも思えなかった。
 実際、こんな技術を実現させたやつはマンガや映画の見すぎだと、みんな口々に言い合ったものだ。
 だが現実として、人間の戦闘能力を極限まで高めたいという欲求は、人類社会の至るところに
 常にあった。
 それは結局のところ、この改造人間たちをこの世に生み出す原動力以外の何物でもなかったという
 わけだ。
 
  
  キャバリアはアルザゥクという液体金属を体内に投入されることによって生み出される
 強化人間だ。
 アルザゥクは周囲からもたらされるエネルギーによって急激に硬化する。
 言ってしまえば、人間の体液を全てアルザゥクに交換してしまえば、銃弾をはじき返す
 人間が作り出せると言うわけだ。
  また、アルザゥクは電気信号で伸縮や展開を行うことも出来る。
 アルザゥクを伸縮させれば筋肉の代わりになるし、汗腺を通して体外に出せば、自由に形状を
 変化させることもできる。
 簡単に言えば、アルザゥクソードやアルザゥクシールドと言ったものがホイホイ生み出せるわけだ。
 また、指先からアルザゥクを高速で発射させることが出来る者もいたという。
 とすれば、それは指先から銃弾のようなものが次々と打ち出せるということになる。
 
  だが、アルザゥクは無敵の存在ではない。
 いくつかの断片的な情報から推測するに、キャバリアの装甲能力は最強の防弾チョッキぐらいで、
 その筋力は人間の10倍ぐらいのものだそうだ。
 もちろん、アルザゥクを動かすには大量のエネルギーが必要であるし、また、アルザゥクを自由に
 動かすためには全身にナノマシンを行き渡らせる必要があるが、このナノマシンは製造が大変難し
 く、歩留まり率がひどく悪いらしい。
 
  したがって、キャバリアは量産が効かず、またその戦闘能力も、戦車1両には及ばない。
 一説には「防弾チョッキを着て、12.7ミリ機関銃を使うゴリラ程度」のものだとも
 言われている。
 だがそれにも関わらず、世界各国の研究機関、政府機関はキャバリアを、アルザゥクの軍事利用を
 研究した。
 キャバリア1人の改造には100億円もの資金が必要で、また、人道的倫理感を捨て去る必要が
 あったにも関わらずに、である。
 
  それはかつてのオーバーキル、核兵器の大量配備にも似たモノだったのかもしれない。
 敵が強力な兵器を持つかもしれないという恐怖、そして自分が持てば相手を圧倒できるという
 悪魔的優越感。
 それになにより、関係各機関の予算獲得競争の産物であったとも言えるだろう。
  
  だが、結局、キャバリアとアルザゥクは兵器としては不完全だった。
 あまりにも高額な維持費用。世間に知られればただでは済まない非人道的な人体実験。
 そして得られる極少数の多少強いだけの人間たち。
 さらに言えば、1度アルザゥクとナノマシンを投与された人間は、もう2度と元には戻らない
 らしい。
 詳しい医学的な見地はよく分からないが、ナノマシンはアルザゥクが無ければ維持が困難であり、
 また、脳がナノマシンの存在を前提にして状態になってしまうため、体内からの除去は絶望的な
 状況のようだ。
 さらに言えば大本である研究所とデーターが失われているため、現在、キャバリアの技術に関し
 ては完全なブラックボックスと化しているようである。

  まあ結局のところ、費用対効果という巨大な壁を、キャバリアは突破できなかったのだ。
 最後には、その研究の総本山であり、スタート地点でもあったピースメーカー社の謎の破綻に
 よって全ては世に暴露された。
 関係各所は責任の押し付け合いとすったもんだを繰り返し、市民社会からは吊るし上げをくらう
 はめになった。
 その後、キャバリア研究は世界的に禁止され、全ては終わったと聞いていたのだが。
 
  ふとボスを見ると、左手の指をタバコを持つ手にしてソワソワしている。
 この仕草は「相手の行動を待っている」時のボスの癖だ。どうも私が資料を見終わるのを
 待っていたらしい。
 私が資料をテーブルに置くと、ボスはおもむろに話を続けた。
 
 「さてー、元之丞ちゃんもご存知の通り、キャバリアに関する研究は国際条約で禁止されました、
 と。それはそれでまあ、どうでもいいから放っておくとして。
 問題はね、作り出されたキャバリアくんたちが野放しで放り出されてしまったと、それなのよね」
 
 「それがこの子たちだと?」
 
 「そう、この小学生の男の子3人。この子たちはキャバリアだと思われるのです。
 さて、改めて指令ですよ? 元之丞ちゃん。
 キミはこの子たちが通う小学校に潜入し、この子たちを1ヶ月、監視、調査するのです。
 ま、気楽に行ってよ。その他はいつもどおりで」
 
 
 
 
 
  さて、指令は下った。
 これから私は潜入工作の準備をする。
 私の潜入工作は少々特殊な方法で行われる。
 
  それはこの本部に用意されているアンドロイド「文楽55号」を使って行われる。
 文楽55号は外見も中身も人間とほとんど同じというスーパーアンドロイドだ。
 そしてその操縦方法は、脳波コントロールという粋なハイテクである。
  文楽55号が見たもの、聞いたものは映像や音として私に届く。
 皮膚感覚、嗅覚や味覚は全身の「感覚再現君」で再現される。
 アンドロイドをつねらないでくれたまえ。感覚再現君は電気ショックで私に痛みを伝えるのだ。
 あれは本当に痛い。
 鼻の中には「匂い再現君」の細い管が突っ込まれるし、口の中には「味再現君」が突っ込まれる。
 文楽55号が嗅覚センサーで感じたもの、味覚センサーで感じたもの、それらは全て機械を通して
 感じるとることが出来るのだ。
 
  さらにこいつの脳波コントロールシステムはなかなか優秀だ。
 私が動かしたいとおりに正確にこのアンドロイドは動く。
 しかし、これは少々慣れがいる作業なので、誰にでも出来るというものではない。
 現実そのものの人間に見せるように動かすのなら、なおさらのことだ。
 
  なお、この文楽55号を使っている時はどんな感じなのか。と、式部くんに聞かれたことが
 あるが、「中途半端にリアルな夢を見ている」と答えたことがある。
 
 「元之丞さーん、ロボットの調子はいかがですかー」
 
  声がしたほうを振り返ると、部屋の遠くに式部くんがいた。
 文楽55号の操縦席は部屋にただ置かれているだけのオープンなものだ。
 なのでこうして近くにいる人と会話をすることもできる。
  
 「ロボットではないですよ、アンドロイドですよ」
 
  パタパタと式部くんが近づいてくる。
 
 「そうなんですか? まあ、細かいことはどうでもいいじゃないですか。
 ロボットでもアンドロイドでもカラクリ人形でも同じでしょう?」
 
 「そこはこだわりたい所なのだけど」
 
  式部くんはどうにもメカメカしいものが苦手らしい。
 スナイパーライフルは自分で修理点検するのに、である。
 なんでも、動力がついている機械は自分が触ったら壊してしまうと思っているらしい。
 
 「あら? 元之丞さん、今回はあのお気に入りの可愛いロリータロボットは使わないんですか?
 金髪に青い目で、クルクル巻き毛にキレイな顔立ち。あたしああいうのが好きなんですけど」
 
 「あの、別にお気に入りというわけではないです。あれはたまたま使う回数が多いだけです」
 
  それにロリータロボットはないだろう。なにやら特殊な趣味の人向けみたいじゃないか。
 
 「いえいえー。隠さなくてもいいんですよー。やっぱりお人形さんは可愛いのが一番ですから。
 あたし、これで他人の趣味には寛容なんです。大の男の人がお人形さん遊びをしていても
 『キモッ』とか『キショクワル』とか『ヘンタイ』とか思いませんから」
 
  ニッコリ笑って天使の笑顔の式部くん。これは新手のイジメか?
 どうも誤解されているような気がする。私は任務でアンドロイドを使っているだけであり、
 好きだからこういう仕事をやっているわけではない。
  そりゃまあ、点検時とか、いろいろとこいつらをいじりますよ? 相手は機械なんだし。
 そりゃ傍目から見たら「人間とまったく同じ」ものを「いじくり回している」様に見えるから
 ヘンタイチックに見えなくも・・・あるか。
 
 「たまにはあっちのアリシアちゃんやサチコちゃんにも入ってあげてくださいね。
 あたし、あのアリシアちゃんが甘ったるい声でおじさん喋りするのがどうにもたまらなく
 好きで・・・あー、肩こったー。とか言ってどっこいしょ! と言いながらいすに座る等ですよー。
 今度連れて歩きたいですねー。とっておきのスイーツのいいお店があるんです。
 そこのオープンテラスが・・・」
 
  いやいやいや、文楽55号はおもちゃじゃないし、しかもアンドロイドにお菓子を食べさせても
 私はおいしさを感じないんですよ? 味再現君はかなり雑な味しか表現できないんですから。
 (例えば、文楽55号がオレンジを食べたとしても、私の方では細い管からクエン酸と砂糖水が
 出るだけなのだ)
 
 「それは今度ということで、それじゃ機械の調整は済みましたから、私は明日から潜入調査に
 入りますね」
 
 「はい。わかりましたー。
 あ、そうだ。あたし今日早引けなんです。主任はこれから出張でここを開けるそうですし、
 帰りの戸締り、頼みますねー」
 
  ゆるい組織だなぁここは。大丈夫か? ほんと。
 
 
 
 
 
 
  次の日の朝。
 私の肉体は「特殊技能者派遣協会」本部にあるが、その意識は文楽55号へと飛んでいる。
 いつものように文楽55号の起動が確認され、光学センサーがとらえた情景がモニターに広がる。
 
 「あ、主任。元之丞さんが鳶丸くんに入ってきましたよ」
 
 「やあやあ、おはよう元之丞くん、いや、鳶丸くん」
 
  今回の潜入で選んだのは鳶丸という名前の少年型アンドロイドである。
 外観は至って普通。黒髪に黒い目、顔は日本人の平均値を算出して造形したという
 まさに本格派の一般人である。
 
  鳶丸は軽自動車の後部座席に乗っている。となりには式部くんが座っていた。
 自動車を運転しているのはボスだ。
 一応ボスが「鳶丸の父親役」で式部くんが「鳶丸の継母役」らしい。微妙に凝った設定だ。 
 
 「それでは、最後の確認だ。鳶丸は市立第2小学校4年1組に入る転校生だ。
 式部くんは継母役なので、鳶丸には少し身構えて接してくれたまえ」
 
 「はーい」
 
  背景にいったいどんな設定が潜んでいるのだろう。
 
 「元之丞くんはわたしをとうさんと、式部くんをアイコさんと呼ぶように」
 
 「あたし感動です主任! この一部の隙も無い設定! 再婚したばかりの継母を、
 未だ母と呼べない少年の、何か心のうちにあるほの暗くも冷たく悲しい何かが絶妙に表現されて
 います!」
 
  実際は、鳶丸を式部くんの子供とするのは無理があるからだろう。
 式部くんは20才だが、それ以下にしか見えない童顔だ。
 仮に20才で押し通るにしても子供が10才なら10才で子供を生んだことになってしまう。
 ううむ、おそろしい計算だ。もう考えないことにしよう。
 
 
  
  さて、ここからの私は鳶丸少年である。
 軽自動車はいくつもの交差点を通り過ぎ、やがて学校の裏門に到着した。
 裏門から入ると、そこには小さいながらも駐車場があり、先生のものだろう何台かの乗用車が
 停まっている。
 
  車を「来客」の文字があるスペースに停め、3人で車から降りる。
 すると見計らったように1人の女性がこちらにやってきた。
 
 「おはようございます。森下さんですか? 始めまして、4年1組の教師の宮下カオルです」
 
  どうもこの女性が、これから潜入する教室の先生らしい。
 名前は宮下カオル、年齢26才。身長150cmの小柄な女性である。
 髪は肩より少し下まで伸ばし、自然に垂らしている。
 多少ウェーブがかかっているようだ。生まれつきのものかもしれない。
 顔立ちは・・・人によっては美人だと言うだろうが、人によっては狸顔と言うかもしれない。
 キレイと言うよりは愛嬌があると言うべきだろう。
 ほっそりとした体をスーツとタイトスカートで包んでいるが、何かこう無理に大人ぶっている
 ように見えなくも無い。
 
  組織の資料によれば、性格はどちらかと言うと温厚。
 ただしキレると怖い。とのこと。いや、誰だってキレたら怖いだろう。
 
 「どうも先生。始めまして。森下です」
 
  ボスが先生と普通に挨拶。なお、森下とは我が組織がよく使う偽名である。
 
 「どうも始めまして。それで、こちらの子供が鳶丸くんですか?」
 
 「はい、うちの息子です。これから短い期間かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
 
  おお、こうしているとうちのボスも普通の社会人のように見えるな。
 
 「あらあら、宮下先生。それではうちの子をよろしくお願いしますね?
 それじゃあなた。あたしたちはそろそろ行きましょうか」
 
  式部くんも絶好調だ。いかにも慣れない母親役を演じる母親を演じている。
 我ながら不思議な日本語である。
 
 「おお、それじゃな鳶丸。とうさんとかあさんは仕事に行くからな。先生の言うことを聞いて、
 ちゃんと勉強するんだぞ」
 
 「うん」
 
  ふふふ、「うん」と言えたぞ。ここで「はい」と言ってはいけない。
 (いやまあ、言ってもいいっちゃいいんだけど)
 ここからは子供なのだ。うまく小学4年生を演じなくてはならない。
   
  ボスと式部くんが自動車に乗って学校から出て行った。
 それを見送った後、私は先生に連れられて、まずは学校の職員室へと向かった。
 
  職員室に近づくと数人の男子生徒がキョロキョロしながら辺りの様子を伺っていた。
 どうも転校生が来るという情報を巧みに知った連中なのだろう。
 どこからか男性教師の怒鳴り声が響いた。男子数名が楽しそうにその場から逃げ出す。
 
  宮下先生は他の男性教師1人を呼びとめ、朝のホームルームの代理を頼んでいる。
 入学の手続きはすでに済んでいるので、後は職員室に入りいくつかの連絡事項を受けるだけである。
 
 「森下くん、本当なら転向の前に学校に来てもらって中をいろいろと案内したかったんだけどね。
 そろそろ夏休みも近いし、一日でも早く教室に溶け込んだ方がいいってことで、転向初日が早め
 早めになっちゃったけど大丈夫かな?」
 
 「たぶん大丈夫です」
 
  そんなやり取りをしていると、職員室の片隅から子供が出てきた。
 男の子だ。肌は少し日に焼けていて、頭は髪がはねてツンツンだ。
 青いショートパンツにTシャツという格好で、その胸にはどういう意味なのか「待」と書かれて
 いる。侍と書きたかったのだろうか。
 
 「おっ」
 
  男の子と目線が合った。
 なにやら興味ありげにこちらをジロジロと見ている。
 
  おお、そうだ思い出した。
 この少年は確かキャバリアではないかと目されている少年。
 名前は並木(なみき) 醍須(だいす)くん 10才だ。
 「覇」という研究機関に所属していた少年で、組織内では「神人12号」と呼ばれていたらしい。
 組織崩壊後、一時行方不明。
 本名不明、ただ、周囲からはずっとダイスと呼ばれていたらしい。
 国籍不明、ただしアジア系。
 NPO団体やらなにやらの手を経て、今は並木家に養子に入っている。 
 
 「おいっおまえ! なにおまえ、転校生?!」
 
  あっけらかんとした様子で、こっちに話しかけてくる。
 社交的な性格なのだろうか。 
 
 「あら並木くん。どうしてここに? あっ! すみません勢多先生。またうちの子が迷惑かけ
 ちゃいましたか?」
 
  見ると、並木少年の後ろに場違いな感じの色男が立っている。
 スーツを着こなし、出席簿を持って立っている所を見ると、これも先生であるらしい。
 鋭い目つきと、ほっそりとした鼻や顎のライン。
 顔は日本人離れしたラインと造形で、よくぞまあこんなに整った顔が出来るものだと感心させ
 られるような状態だ。
 それに長い髪を無造作に縛って肩の下あたりまで垂らしている。
  背は高い、190cmはありそうだ。体も細くない。背が高いからわずかに華奢に見えるが、
 身のこなしやスーツの上からも分かる、筋肉の盛り上がり・・・。
 おそらく若い頃は相当スポーツか格闘技で鍛えたのだろう。
 どこをどう見ても小学校の教師には見えない。どこぞのホストNo.1と言ったところだ。
 なんでこんなのが小学校の先生なんだ、何かの間違いだ。
 
 「良いんですよ、宮下先生。ははは、並木くんはやんちゃだからね。今朝もサッカーボールで
 遊んでいたらボールが花壇に飛び込んでしまって、そこに並木くん、飛び込んでしまってね、
 下級生の朝顔がいくつか台無しになってしまったのですよ」
 
  声までいい男だ。いったいなにがどうなったらこんなヤツがこの世に生まれてくるのだろう。
 とりあえず要注意人物としてマークしておこう。
 
 「ごめんなさい勢多先生。並木くんにはあとで下級生の所に誤りに行かせますから・・・」
 
 「いえ、それはもう済ませました。並木くんと私の方で、もう佐々木先生のクラスに謝りに
 行きましたので」
 
 「そ、それはお手数をおかけしました。それじゃあ並木くんは早く教室に戻りなさい」
 
 「はーい。・・・おう! 転校生! またな!」
 
  軽く手を振り、適当に相手をする。
 並木少年が職員室から出て行く。
 なにやらその顔には「面白いイベントがやってきた!」みたいな表情が浮かんでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「それじゃこれから4年1組を紹介するわ。心配しないで、いい子たちばかりだから。
 それじゃあ、ついてきて」
 
  しばらく職員室で話を聞いた後、宮下先生の教室へ向かう。
 4年1組の教室は3階にあるらしい。職員室は1階なので、結構階段を登ることになる。
 子供の頃は当たり前のように階段を使っていたが、どうしても2フロア以上の昇り降りが億劫
 に感じられてしまう。
 大人は怠け癖がついているのか? ついエスカレーターやエレベーターを探してしまう。
 とは言っても、実際に動いているのは私ではなくアンドロイドの方なのだが。
 
 「はい、ここです」
 
  先生が急に立ち止まる。
 見上げるとそこには4年1組の看板があった。
 
 「それじゃあここで待っててね。先生が呼んだら教室に入ってきてね」
 
  そう言われ、教室の外に待たされる。
 先生が入ると、教室の中が急に騒がしくなった。 
 先生どうしたのー? とか 転校生いるってマジー?! とか。
 いやはやまあ、学校生活で転校生と言うヤツは一種のイベントのようなものだからな。
 いつもと違ったことが発生すると言うのが、ただ楽しいのだろう。
 
 「それじゃあ、みんなに新しいお友達を紹介しまーす。森下鳶丸くん。入ってきてー」
 
  先生が教室の扉を開き、こっちに来いと手招きする。
 私が教室に入ると、早速好奇の視線が集まるのがわかる。
 みんな転校生の森下鳶丸に興味津々のようだ。
  私は先生が指し示すとおり教壇の一段高いところに上がる。
 そしてクラスメイトのみんなの方を向く。
 なにやらみんな「おおー」というような歓声を上げる。
 
  先生が黒板に名前を書く。
 自己紹介すべきところなのだろう。迷わず挨拶した。
 
 「森下鳶丸です。よろしくお願いします」
 
  ぺこっと軽く頭も下げてみる。
 「おおー」だの「森下かー」だの「転校生だー」だの、そういう声が教室いっぱいに響く。
 さて、そこで私は教室内を見渡す。
 いたいた。お目当ての少年たち、キャバリアと目される男の子たちだ。早速観察する。
 
  教室中央の一番後ろに陣取るのが並木醍須。
 これはさっき職員室で見た顔なので、もうチェック済みだ。
 なにやら知ったかぶった顔でこちらを見ている。
 「オレはお前らより早く転校生を知っていたぜ」とでも言いたげな顔である。
 いかにも少年らしいはきはきした雰囲気である。
 
  次、教室の窓際、真ん中辺りに座っているのが佐東セアンくんだ。
 名は ミハエル・クリアン・アテアーヌ・セアン。国籍は不明。
 髪は白に近い金髪、少し長めにしている。目はグリーンで肌は白い。
 なかなか理知的な顔立ちをしている。フランス系か、白ロシア系か・・・あるいはいろいろと
 血が混ざっている顔だなアレは。
 しかしかなりの美少年だ。少年愛に燃えている男性辺りに誘拐されてもなんら不思議ではなさ
 そうだ。
  服装は普通だ。紺地の半そでシャツに普通のズボンをはいている。
 しかし、見た目こそシンプルだが、生地に安っぽさがない。質の良い高級品を着用していると
 思われる。
  彼の経歴を思い出す。確か両親が航空機事故で墜落死した後、親族の中で引き取り手が無く、
 いつしか孤児となっていた、とあった。
 そこをキャバリアの実験施設「カザーク」に連れていかれたらしい。
 「カザーク」はピースメーカー社と共に崩壊、セアンくんは一時行方不明になっていた。
 その後NPO団体に保護され、その手を経て佐東家に養子に入る。
 知能指数がかなり高く、1度だけIQ170をマークしたことがあるらしい。
 しかし、その後のIQ調査は全て90~110の間を行き来している。
 目だたないよう、テスト結果が平均値になるように工夫しているとも考えられる。
 まあ、ただの偶然だとも考えられるが。
 
  次、教室の廊下側、一番前にいるのが野々村 飛鳥。
 本名 鈴木元信 日本人。 
 とある新興軍需産業、パールズ工業の研究部門にいたらしい。
 研究者の人には偏愛されていたとのことで、「優秀な実験試料」として大切にされていたと
 書類にはある。
 パールズ工業は政府高官との癒着を暴露され、またその内部で行われていた人体実験の情報も
 流出し倒産した。
 会社倒産後、この少年も行方知れずとなっていたが、それをとあるNPO団体が保護。
 その後そのNPO団体のつてで野々村家の養子となっている。
  それにしても・・・外見的に一番驚くべきはこの野々村だろう。
 まず全体的に言って女にしか見えない。いや、女子にしか見えない。
 目はパッチリと大きく、肌は日本人にしては白い。頬はバラ色がかり、まつげは明らかに
 ビロンと長い。
 髪は茶色がかったものをゆったりと伸ばしている。肩にかかるほどの長さだ。
 それをもみあげ辺りで垂らし、後ろ髪は軽く縛っている。
 
  ・・・これは、女装男子というやつなのか。
 いや、女装しているわけじゃないから、女装男子ではないか。
 確かに服装は半そでのシャツに短パンである、一応、男の子のものだ。
 だが、あえてユニセックス的デザインの服を着ているようにも思われる。
 
 
  まあいい、私にとって重要なことはこれらの3人のキャバリア。
 並木醍須、佐東セアン、野々村飛鳥の3人の監視と調査である。
 とにかくまずは、この3人と打ち解ける必要がある。
 それにしても、こんな子供たちが本当にキャバリアなんていう改造人間なのだろうか?
 
 
  休み時間が来た。
 3人の少年と打ち解けるのにたいした時間はかからなかった。
 どうも並木少年はクラスの中心的存在らしい。彼が話しかけてきてくれたおかげで
 クラスに溶け込むのも早かった。
 また、3人の少年は親友同士であるらしく、並木少年との良好な関係は、そのまま佐東、
 野々村の2人にも適用された。
 
 「おう! 森下! オレが並木醍須だ! ダイスって呼んでくれ!」
 
 「始めまして、ぼくは佐東セアンです。セアンと呼んでください」
 
 「ボクは野々村飛鳥です。アスカって呼んでね」
 
  と、そんな感じである。
 
 「よろしくダイス、セアン、アスカ。さっきも言ったけど改めて、森下鳶丸ですよろしく」
 
 「おお! よろしく鳶丸! ああ、鳶丸って言いやすいな、なあなあ、おまえのこと鳶丸で
 いいか?」
 
 「うん、いいよ」
 
  そうして話をしているところに、幾人かのクラスの女子が割り込んできた。
 先頭に立つのは、長い髪をツインテールにしたサスペンダー+ショートパンツ少女。
 名前は確か加賀瀬 海と言ったか。
 ふむふむ、これはオレの知り合いで好きそうなのが最低5人はいそうだ。
 顔はなかなか可愛いのだが、意思が強そうに相手をにらみつけるような目線は少々きつい。
 
 「転校生を独り占めしないでよ並木! アタシたちだって聞きたいこととかいっぱいあるん
 だから!」
 
 「いいじゃねぇか、別に鳶丸は誰のものでもねぇよ」
 
 「そうだよねー、森下くん。あ、そうか、ねぇねぇ、あたしたちも鳶丸くんって呼んでいい?」
 
  加賀瀬さんは私のすぐ前の席を占領し、背もたれを胸に抱えるようにして座り込む。
 
 「いいよ、鳶丸で」
 
 「あ、ずっりーの! 鳶丸でいいかって、最初に許可とったの、オレらだぜ? まずはオレらから
 許可を取るべきじゃねぇ?」
 
 「あんたはいつまでたっても本当にバカねぇ、そんなの本人から許可を取れば誰が呼んだって
 いいに決まってんじゃない」
 
 「なにぉ?!」
 
 「ふふん、ま、鳶丸くん、こんなバカは放っておいて話聞かせてよ、前はまではどこにいたの?」
 
  このような場合、つまり過去を根掘り葉掘り聞かれることは、潜入捜査では想定済みだ。
 私はあらかじめ用意しておいたカバーストーリー(真実を隠すためのでっちあげ)を話す。
 一応言っておくと、前にいたところは愛知県の大きな小学校だという設定である。
 クラスメイトや先生の名前も用意されており、ちゃんと日々の出来事や遠足での失敗談も用意
 されている。
 
 「へぇー、そうなんだー、それでそれで? 向こうに好きな女の子とか、いなかったの?」
 
  加賀瀬さんの後ろで女子がキャーキャー騒ぎ始めた。
 
 「あはは、いなかったよ」
 
  またキャーキャー騒ぐ女の子たち。
 そこまでは設定していなった。危ない危ない。
 
 
 
  しかし、こんなことで自分の仕事の本分を忘れてはならない。
 ちょうどいいことに、次の時間は体育の授業だ。これであの少年3人の身体能力について
 調査することが出来る。
 
  もちろん体育の時間でキャバリアとしての身体能力を全てさらけ出すとも思えない、
 だが、どこかに必ずなんらかの一般人の差異は出てくるはずだ。
 例え己の能力を隠そうとしても私の目はごまかせないぞ。
 
  さて、授業の前に体操着に着替えなくてはならない。
 着替えは絶好のチャンスだ、普段は見ることの出来ない彼らの体表面の状態を観察することが
 出来る。
 キャバリア少年たちの肉体にズームインだ。
  一応言い分けさせてくれ、私は変態ではない。これは仕事なんだ。
  ほう? 着替えは男女別々か、まあ当たり前だな。さすがに10才を過ぎれば異性を意識する
 こともあるだろう。
 女子が体操着の入ったそれぞれのバッグを持って教室を出て行く。
 どうも話を聞いているところでは体育館の横に小さな更衣室があるらしく、女子はそこを
 使うらしい。
 
  特に問題はない、キャバリアたちは全員男子だ。
 男子である鳶丸が一緒に着替えの場にいることは、別におかしいことではない。
 
  そう思っていたのだが、それは早計だったようだ。
 なにやら女子たちが教室の入り口でワイワイ騒いでいる。
 その中心には野々村少年と加賀瀬さんがいるようだが・・・。
 
 「アスカちゃんはこっちでしょ! なにやってんのよ女子更衣室に行くよ!」
 
 「ふええ、ボ、ボクはその、やっぱり男の子だし」
 
 「何言ってんのよ、ちゃんと野々村のおばさまから『うちのアスカは女子として扱ってください』
 と言われてるんだから!体操着だって女子のスパッツだし、顔も体も女子とあんまし変わんない
 んだから問題ないって」
 
 「で、でも、着替えの場に男子がいたらみんな恥ずかしいでしょ?」
 
 「男子がいるなら、ね。アスカちゃんは女子に余計な物が付いているだけだから」
 
  そうそう、あたしたち平気だし。とか。
 そうだよ、女子全員、アスカちゃんを男子だなんて思ってないよ。
 等と言う声も聞こえてくる。
 
 「ふ、ふええん。ダイス、セアン、なんとかしてー」
 
 「毎回毎回、男子と一緒に着替えようとするんだからアスカは、くっくっくっ。抵抗しても
 ムダよムダ」
 
  助けを求める友の叫び。
 しかし、それは「いつものことさ」という空気共に無視された。
 野々村は女子更衣室に連れ去られてしまった。
 
  ええっと、これはどうしたらいいんだ。
 なに、なんと言っていた? 『うちのアスカは女子として扱ってください』?
 そんな教育方針がこの世にあるものなのか? 家の方針で女装しているのか? 将来は歌舞伎の
 女形でも目指すのか?
 どうしよう。キャバリア調査の前に児童虐待の現場を目撃してしまったのかもしれん。
 児童相談所に連絡したほうがいいのだろうか。
 
  い、いや、それはそれでとりあえず置いておこう。
 とにかく残った2人の少年の観察だ。
  
  佐東セアンは教室の片隅で黙々と着替えている。
 外見的にはなんの特徴も無い。10才の男子としては平均的体格であろう。
 体のどこかにチューブとかメーターとかスイッチとかはないし、ネジやボルトも見当たらない。
 当たり前か。
 
  並木醍須もまた、普通に着替えている。
 教室の一番後ろで、背中を壁に寄せながら着替えているように見える。
 背中を隠しているのか? ふむ、そんな感じにも見える。
 
 「おい、転校生」
 
  誰かが後ろから私を呼んだ。
 振り返ると、そこにはクラスメイトの男子がいた。
 このイガグリ頭は、確か仁科くんと言ったか。
 
 「並木の着替えをジロジロ見ないほうがいいぞ。あいつすっげー怒るんだ」
 
 「・・・どうしてだろう?」
 
 「オレ、一回だけ見せてもらったことがあるんだけどさ、並木の背中には、スゲーデカイ稲妻
 みたいな形の傷があるんだ。あいつ、それを気にしているんだよ。無理に見ようとしたり触ろう
 としたりしたらムッチャ怒ってしばらく口利いてくれなくなるぞ」
 
  なるほど、そういうことか。
 背中の大きな傷、か。何か重要な意味を持つものかもしれない。
 
 
 
  さて、体育が始まった。
 驚くべきことに、野々村は本当に女子のスパッツを着用している。
 なんということだ。同じ男子として、局部がどうなっているのか大いに気になるところではある。
 
  授業内容はと言えば、ラジオ体操から軽くランニング。その後ドッジボールのゲームをすると
 いうものだ。
 ああ、野々村くんは女子の方にいる。まあなんだ、とりあえずこれはもうスルーしよう。
 
  ほどよく体が温まったところでゲームが始まる。
 くっ、がんばれ文楽55号。ええい、遠隔操作のアンドロイドにスポーツをさせるのはなかなか
 難しい。
 
  ドッジボールのプレイ状態を観察。
 並木くんは積極的にボールを相手と投げ合っている。
 ボールを投げるのも、受け止めるのも避けるのも、好きなようだ。
  
  佐東くんを見ると、これは一見パッとしないプレイに見える。
 しかし、私はここで気がついた。
 どうも彼は利き腕ではない方でボールを扱っている。
  確か彼は人から物を受け取るとき、右手を使っていたはずだ。
 それが今は左手でボールを投げている。
 ふむ、何かを隠そうとしているか、もしくは両手利きである可能性もある。
 即断は禁物だ。よくよく見ていかなくてはならない。
 
  野々村くんはと言えば。
 あ、加賀瀬さん渾身のシュートをくらったようだ。
 ボールが腕の内からはじけ飛び、顎から顔面にかけて強打している。
 
 「うわ、やっちゃったあー! アスカちゃんごめーん」
 
  ゲームを一時中断し、大丈夫? 大丈夫? と女子がわらわらと集まっている。
 
 「だ、だいじょぶ、なんともないよ」 
 
  周囲の女子が「海はバカぢからなんだから加減しないと」などと言っている。
 ふむ、突然だがここで推測できることが1つ。
 「海はバカぢから」この言葉は彼女、加賀瀬海が普段から腕力がある女の子だと
 認識されていることを如実に表している。
 そしてもう1つ、これは加賀瀬の腕力の強さを野々村の貧弱さと対照的に語られた
 言葉であるという点が重要であろう。
 もしも野々村飛鳥も腕力があると認識されているのなら、ここで「加減しなさいよ」とはならない。
 「腕力バカ2人でなに本気でやってんの」とか、そんな感じの言葉になるだろう。
 
  そう、つまり野々村は前々から貧弱だと認識されているのだ。
 キャバリア、改造人間である野々村飛鳥はその全力をクラスメイトに見せたことが無いと
 言うわけか。
 ふむ、まあこれは推測に過ぎないので、もう少し裏付けを進める必要があるだろう。
 
 「おい! 鳶丸! あぶない!」
 
  誰かの叫び声が響いた。
 おおっと! 気がつくとモニターいっぱいにボールが写っている。
 あわてて腕で弾く。こっちは精密機器なんだから乱暴にしないでくれとお願いしたい。
 
 
 
 
 
  いろいろとあって下校時間になった。
 帰宅時間と言っても、文楽55号をこの本部に戻すことは出来ない。
 組織が借り上げているマンションの一室が文楽55号の整備拠点となっているため、
 そこに戻す必要がある。
  友達は連れ込めない。まあ不意の来客がいつあってもいいように偽装に偽装を
 重ねてはいるが、それでも見られたらマズイものが部屋に転がっている可能性は常にある。
 もし友達が来ることになったら、「両親があまりいい顔をしない」という理由を付けて
 断るようになっている。
 
  バッグに荷物を詰めていると、例のキャバリア少年3人組に声をかけられた。
 途中まで一緒に帰ろうぜ、家の方角どっち? と並木少年に誘われる。
 聞くと途中まで帰り道が3人と一緒だとのこと。
 断る理由もない、私はしばしこの4人で帰ることにした。
 
 「だーかーらー。アスカは女子にやりたい放題させすぎ! 嫌なら嫌で、ハッキリした方が
 いいって!」
 
  帰り道、そこでは女子たちの野々村に対するあり方が議論の的となっていた。
 どうも並木少年は野々村が現在置かれている状況に不満を持っているらしい。
 いろいろな雑談の果てに、どうしたわけか並木少年の不満が爆発したようだ。
  発端はこうだ。
 「明日、学校終わったら遊びに行こうぜ!」と言う並木少年。
 それに対して
 「明日は加賀瀬さんたちと一緒に駅前のアイスクリーム食べに行く約束してるからボク無理」
 と断る野々村。
 「なんだよおまえ! 最近、女子と一緒にいるばっかじゃん!」
 と駄々をこねる並木少年。
 ふむ、つまり並木少年は野々村と一緒に居られなくて寂しいわけだ。
 仲の良い友達を盗られた。とでも感じているのかもしれない。
 
 「でもさダイスくん。アスカくんが女の子っぽい格好してるのって、飛鳥くんのお母さんの方針
 なんでしょ?仮に嫌だって言っても女の子扱いが止まるわけじゃないわけだし」
 
  ふむ、セアンくん。おそらく問題のポイントはそこではない。
 
 「セアン! それでも言うべきことは言っておかないとダメだぜ。
 アスカは男なんだからさ、もっとしっかりと男らしくするべきだぜ」
 
 「でも、そういう考え方ってジェンダーがどうとかって、先生言ってたよ?
 アスカくんは女子っぽいし、別に良いんじゃないの?」
 
 「むかー! そうじゃないだろ! そうじゃない!」
 
  うーむ。並木少年としてはもっと野々村と遊びたいだけなのだろう。
 ところがクラスの女子たちはアスカちゃんを女?友達として仲間に加えたいわけだな。
 それで並木少年としては腹が立つわけだ。オレの友達を盗るな! と。
  ところが並木少年としては友達を盗られたくないなんて、そんな気持ちを誰にも知られたくない。
 真正面から口にして認めるのが恥ずかしい。
 それで野々村の女の子的な外見をどうにかしたいんだと議論をすりかえているわけだ。
 佐東少年がそれに気づいているかどうかは微妙なところだな。
 
 「あのさ、鳶丸くんも」
 
  野々村少年に服の袖をクイクイと引っ張られる。
 
 「ボクのこと、女の子みたいだって思うかな?」
 
  うむ、はっきり言って女の子にしか見えない。と、心の中では言っておく。
 
 「ううん、大丈夫、ちゃんと男の子に見えるよ」
 
  100%ウソです。
 
 「はあ、ありがとう鳶丸くん。でも気を使ってくれなくてもいいよ。
 母さんの方針で、髪型は女の子みたいだし、服装も男らしい物は着せてくれないし」
  
 「ははは、すごいお母さんだね。正直言って会ってみたいと思うよ」
 
 「そりゃあいい!」
 
  突然、前から大きな声が響く。
 並木少年の声だ。彼はこちらに振り返り、私を手招きしている。
 
 「鳶丸! 今度、そうだな・・・ええっと、明日の明日さ」
 
 「ダイスくん、それは明後日」
 
  佐東少年が慣れたタイミングでツッコミを入れる。
 
 「そう、明後日にでもこの4人で、揃ってアスカの家に遊びに行こうぜ!
 一回、アスカん家とか、かあちゃんとか見てやってくれよ。
 こいつこのままじゃ本当に女にされちまいそうな勢いだぜ」
 
 「そ、そう」
 
  女にされる勢いとは、どんな勢いなのか。
 
 「おばさん、ホルモン注射がどうとか、受容体の阻害がどうとか、第二次性徴が来る前が大事とか、
 いろいろと調べてたよ」
 
 「おお、よくわかんないけど、アスカの男のピンチってわけだな?
 アスカ! お前これからどんどん男としての自覚を出しとけよ!
 これからガンガン男っぽい遊びを入れて、アスカを男にしていくからな!」
 
 「ボクはもう、男として自覚してるよ!」
 
  それは分かっている。
 たぶんみんな分かっている。
 わかった上でやっているのだ、それは一番性質が悪い。

 
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